伝統主義と文明社会: エドマンド・バークの政治経済哲学
エドマンド・バークは、一般にはフランス革命を批判した保守主義の元祖として知られているが、他方ではホイッグ党の幹部として経済的自由を擁護する政治家でもあった。一般には、こういう彼の矛盾する態度は、封建的道徳を守る「旧ホイッグの限界」といわれる。

本書はバークの保守主義と自由主義を、一貫した思想と考える。国民主権を「一般意志」として絶対化するフランス革命の「民主主義」が生んだのは、独裁と流血だった。自由な文明社会は、イギリスのように長い時間かけて蓄積されたコモンロー的な封建的伝統から生まれたのだ。

政治に多くの大衆が参加するほど暴走のリスクは高まるので、バークは普通選挙に反対した。ドナルド・トランプが代表しているのは、バークの恐れた「大衆政治」だ。合衆国憲法には、このようなデマゴーグの出現を防ぐために何重にもチェック機構が設けられているのだが、彼はそれをくぐり抜けてきた現代のロベスピエールである。
バークとハイエク

現代の古典的自由主義者として知られるのは、フリードリヒ・ハイエクである。本書は補論で、ハイエクが「リベラル」と呼ばれるのをきらったことを論じている。フランス革命を擁護し啓蒙思想を信じるnew whigに対して、バークはみずからをold whigと呼んだ。

ハイエクもバークと同じく「天賦人権」を否定し、人類に普遍的な権利を「主権者」が実定法として定める大陸法の合理主義を疑う。社会はつねに進化し、各国で慣習や伝統も違うので、それを先験的な真理として人権を特権化する大陸法よりも、判例中心で柔軟に変化するコモンローのほうがすぐれていると論じる。

しかしそういうイギリスの伝統が正しいということは、何によって保証されるのだろうか。伝統が正しいのは伝統だからだというのは、循環論法である。バークの伝統主義は、ともすれば「存在するものはすべて合理的だ」という現状肯定や既得権の擁護に堕すおそれがある。

この点でハイエクは、バークと一線を画す。彼は「私はなぜ保守主義ではないのか」という有名なエッセイで、当時のイギリスの保守党のような既得権を守る立場には立たないとのべ、文明社会の基礎をバークの「封建的道徳」に代わって、価格メカニズムによる自生的秩序に求める。

これは現代の標準的な経済学の理解だが、それも一種の循環論法になっている。価格メカニズムはなぜ「自生的に」維持されるのだろうか。たとえばシリアやアフガニスタンで、価格メカニズムを信頼することはできない。それも自生的な秩序ではなく、長い時間かけてイギリス人が築き上げてきた人工的秩序なのだ。

ハイエクは晩年にこの点に気づき、彼の自生的秩序は「ヨーロッパに固有」だと認めて、財産権を保護する制度設計を考えた。バークはイギリスの封建的道徳を信じていたが、ハイエクは価格メカニズムや財産権が自明の制度だとは考えなかった。ではそれはどこから来たのか――それを考えるのは現代的課題である。