明治維新は世界史上でもっともスムーズに行なわれた革命だが、なぜ武士の特権を奪う大変革が、あれほど短期間に大した抵抗もなく行なわれたのかというのは謎である。本書は映画化もされたベストセラーだが、その謎に武士の生活からミクロ的に答えている。
素材は猪山家という加賀藩の「御算用者」(会計係)の家計を幕末から明治初期まで37年にわたって詳細に記した文書だ。猪山家はもともと格の高い家ではなかったが、幕末には各藩の財政が苦しくなり、財務の専門家が出世した。いわば「理系」の実力派エリートだが、その家でも借金が年収の2倍もあり、金利が年18%もあったので、猪山家は破産の危機に直面した。
そこで1842年に家財道具をすべて売却して借金を返済し、破産を逃れた。猪山家のようなエリートでこうなのだから、下級士族は水呑百姓より貧しかった。各藩の財政も困窮して俸禄(賃金)の遅配や減額が増え、武士はもはや特権ではなく、商売も農業もできない不自由な貧民だった。廃藩置県であっさり各藩が領地を手放したのも、重荷をおろした気分だったのだろう。
素材は猪山家という加賀藩の「御算用者」(会計係)の家計を幕末から明治初期まで37年にわたって詳細に記した文書だ。猪山家はもともと格の高い家ではなかったが、幕末には各藩の財政が苦しくなり、財務の専門家が出世した。いわば「理系」の実力派エリートだが、その家でも借金が年収の2倍もあり、金利が年18%もあったので、猪山家は破産の危機に直面した。
そこで1842年に家財道具をすべて売却して借金を返済し、破産を逃れた。猪山家のようなエリートでこうなのだから、下級士族は水呑百姓より貧しかった。各藩の財政も困窮して俸禄(賃金)の遅配や減額が増え、武士はもはや特権ではなく、商売も農業もできない不自由な貧民だった。廃藩置県であっさり各藩が領地を手放したのも、重荷をおろした気分だったのだろう。
幕藩体制が腐敗しなかった最大の原因は、このように地位の非一貫性と呼ばれる原則が守られていたからだ。これはもともと徳川家が軍事的に弱体だったので、他の藩が富を蓄積して反乱を起こさないように300に分割して江戸屋敷や参勤交代で財政を弱めたことが原因だが、結果的には平等で平和な時代が250年も続いた。
しかし幕末になると、本書にもくわしく書かれているように下級武士は貧民になってしまい、彼らの上級武士へのルサンチマンが革命の原動力になった。このとき彼らを鼓舞したイデオロギーが「幕府は本来の権力ではなく、天皇家の地位を簒奪した」という水戸学の皇国史観で、それをテロリズムにしたのが尊王攘夷だった。
その意味で幕府の崩壊は必然だったが、その革命があれほど平和的にできたのは、それまで100年以上、多くの貧しい武士が怒りを蓄積したためだと考えることもできる。つまり明治維新は、先送りの得意な日本人が貧しさによって「これ以上は先送りできない」というところまで追い詰められたことによる革命だった。
日本の財政も、このまま放置したら猪山家のようになるだろう。江戸時代のシステムが行き詰まるまでには250年かかったが、今の社会保障はそこまで持たない。経済が「社会主義化」してボロボロになるのも幕末に似ているが、どこかで限界が来るだろう。日本人は追い込まれると集中力があるので、意外にスムーズに「革命」はできるかもしれない。
しかし幕末になると、本書にもくわしく書かれているように下級武士は貧民になってしまい、彼らの上級武士へのルサンチマンが革命の原動力になった。このとき彼らを鼓舞したイデオロギーが「幕府は本来の権力ではなく、天皇家の地位を簒奪した」という水戸学の皇国史観で、それをテロリズムにしたのが尊王攘夷だった。
その意味で幕府の崩壊は必然だったが、その革命があれほど平和的にできたのは、それまで100年以上、多くの貧しい武士が怒りを蓄積したためだと考えることもできる。つまり明治維新は、先送りの得意な日本人が貧しさによって「これ以上は先送りできない」というところまで追い詰められたことによる革命だった。
日本の財政も、このまま放置したら猪山家のようになるだろう。江戸時代のシステムが行き詰まるまでには250年かかったが、今の社会保障はそこまで持たない。経済が「社会主義化」してボロボロになるのも幕末に似ているが、どこかで限界が来るだろう。日本人は追い込まれると集中力があるので、意外にスムーズに「革命」はできるかもしれない。
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