憲法の涙 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください2
昨年、書評で紹介したら大反響を呼んでベストセラーになった『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』の続編。ここで名指しで批判された長谷川恭男氏の反論への再反論が中心だが、日本の「護憲派」のバカバカしさを暴いている。

もっとも重要なポイントは、「集団的自衛権は違憲だが、自衛隊と安保条約は合憲だ」という長谷部氏のアクロバティックな解釈が成り立たないという点だ。長谷部氏は「表現の自由にもわいせつ罪のような例外はあるので、自衛隊も例外として許される」というが、これは問題のすり替えだ。

表現の自由は憲法第12条の「国民はこれを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という規定を前提にしているので、公共の福祉の制約がある。それに対して第9条にはそんな制約は何もなく、「戦力」と「交戦権」を全面的に放棄している。自衛隊が「戦力ではない」というのは例外ではなく、憲法の否定だ。

こんなナンセンスな解釈を、長谷部氏は法律家共同体のコンセンサスと称して、「国民はそれを受け入れるか拒否するかの二択しかない」というが、そんなコンセンサスなんて存在しない。護憲派の中でさえ、第9条の解釈はバラバラだ。憲法学者だけが憲法を解釈する特権をもっているというのは、何の根拠もない傲慢である。

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