崩壊する55年体制 (ドキュメント 平成政治史 第1巻)
民主党と維新の党が合流することになり、政策協定もできてないのに党名を募集している。私は泥舟党という党名を提案したい。維新の松野頼久代表は、総選挙で民主党が大敗することが確実になった2012年9月に、泥舟から逃げ出して橋下徹氏の人気にすがり、「日本維新の会」をつくった張本人だからだ。

その松野氏など元民主のメンバーが泥舟に戻ってくるのだから、沈没は確実だ。そもそも民主党は彼を除名したのだから、松野氏は党に戻れないはずだが、除名処分は撤回するのか。安倍政権は景気の悪化であやしくなってきたが、相手がこの無原則な泥舟党では、ダブル選挙で両院の2/3も可能だろう。

ここまで日本の政治がグダグダになった原因は、1993年の政権交代で細川内閣が挫折し、そのあとも小沢一郎氏がいろいろな新党をつくっては壊してきたからだ。本書は3巻でその後の20年の歴史をたどっているが、ほとんどが「小沢史観」で説明できてしまう。それだけの大政治家が、今は5人の小政党にいる。

なぜこんな結果になったのか、という問題の答は複雑だ。小沢氏の政治的な賭けが(細川内閣以外は)すべて失敗し、彼が側近を次々に切り、おまけに検察が彼をねらっていたため、つねにカネの疑惑がついて回った。根本的な原因は、田中角栄の政治手法をまねた小沢氏に、田中のような人望がなかったことだろう。
うらみつらみで動く政治

私は小沢氏に2回インタビューしたことがある。1度目は竹下内閣の官房副長官だった1988年で、まだ46歳で内閣を取り仕切り、日米の建設協議や国際協力などの外交案件を彼が決着させた。彼は次の首相と目され、まわりに多くの党職員が控えて、首相にインタビューするような感じだった。あのころが彼の人生でいちばん輝いていた時期だったと思う。

2回目は2010年の民主党代表選挙に出馬したころ、ニコ生で「今でもグランドキャニオンの柵のような考え方は同じか?」と質問したら、彼は即座に「まったく同じだ」と答えた。印象的だったのは、「自民党政権では与野党の対立なんかなかった」という話だ。「自民党と社会党は地下茎でつながっていて、国会が止まったりするのは芝居。すべて実質的に全会一致だった。そうでなければ自社の連立政権なんかできるはずがない」という。

「そこまでわかっていたのなら、どうして自社連立に裏をかかれたのか?」と質問したら、「あそこまで節操がないとは思わなかった。私も若かった」と笑っていたが、この誤算が決定的な失敗で、そのあと彼は二度と政権に戻れなかった。

この「自社さ連立」を仕掛けたのは、政治を55年体制に引き戻そうとする自民党の亀井静香と社会党の野坂浩賢の「国対コンビ」で、それを武村正義がつないだというのが政界の常識だが、本書はその背後の仕掛け人は竹下だったという。

これは竹下派の分裂にさかのぼる。竹下が首相を辞任したあとは金丸会長・小沢会長代行の体制になり、金丸は小沢氏を首相にしようとしていた。竹下はそれに反対で、派閥を乗っ取った小沢氏との対立が深まっていた。それが金丸のスキャンダルで火を噴いたのだ。

小沢氏は検察と取引し、金丸が記者会見して幕引きをはかったが、検察は立件しようとした。小沢氏は裁判で徹底抗戦すべきだと主張したが、竹下は上申書を出して20万円の罰金ですませようとした。しかし世論の批判を浴びて検察は強制捜査に入り、そこで50億円の金塊が見つかったことが金丸の命取りになった。

この小沢氏の戦術ミスで金丸は政治的に葬られ、竹下派は分裂状態になった。選挙の結果、金丸の後任とみられていた小沢氏が敗れ、自分の仲間を率いて竹下派を壊し、最後は自民党を分裂させて政権の座から追放した。竹下は、自分の派閥を壊した小沢氏に「自社さ」で報復したのだ。政策の不一致なんて、どうでもよかった。

本書を読むとこういう政局の話ばかりで、政治がうらみつらみで動いたことがわかる。90年代にバブルの崩壊した時期に、経済政策はほったらかしでこんな政争に明け暮れていたら、日本経済がだめになるのも当然だ。その意味でも、政局で政治を動かそうとした小沢氏の責任は重い。