有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論
ヒューム以来の近代哲学は、すべて観念論である。人が認識できるのは現象だけであり、その向こうに物自体があるとカントは想定したが、それは直接に知りえないとされた。本書は、このカントの「コペルニクス的転回」を再転回し、物自体の実在を認識できるとする「新しい唯物論」の出発点となった話題作である。

といっても原著の出版は2006年であり、この10年間に多くの批判が寄せられた。特に本書のコアになっている「ヒュームの問題」を解決したという主張については疑問が多い。著者の主張は客観的実在を集合論で証明するものだが、これは数学的な無矛盾性と物理法則を混同している。

ヒュームの問題は「なぜ世界は規則的なのか」という問題に帰着し、物理学では人間原理としておなじみだ。これについての多くの物理学者の答は「莫大な数の可能な宇宙の中のきわめて幸運な宇宙に人間は住んでいる」というものだ。著者の答もそういう多世界宇宙論に近く、発想としては新しくないが、集合論や確率論を使って書いているのでわかりにくい。

ポストモダンの「相関主義」の否定

著者の問題意識は明確だ。ポストモダンの議論では、すべての絶対性を否定するので、世界には何ひとつ確実なものはないという相関主義に陥る。しかしこのような相関主義も、相関性を絶対化しているのではないか。すべてを疑うという20世紀の哲学を疑うことはできないだろうか。

いいかえると世界には、何か必然的な実在があるはずだ。ヒュームが指摘したように、太陽が明日の朝も東から昇ることは証明できないが、それは必然だ。その原因をヒュームは、人々の信念の問題と考え、カントはこれを先験的カテゴリーと表現したが、これは問題を言い換えているにすぎない。そのカテゴリーが不変だという必然性は証明されていないからだ。

著者はこの問題を転倒して、太陽が明日も東から昇るのは偶然だと考える。それは無限に多くの可能性の一つにすぎないが、われわれはそのありえないような偶然を体験し続けているのだ。それは可能な世界の数が無限で、人間はそのうちの特殊な宇宙にいるからだ。なぜそこにいるのかと問うことは、なぜ私がこの世に生まれたのかと問うのと同じく無意味である。

これは「弱い人間原理」とほぼ同じで、著者も認めるように、無限の宇宙の存在を証明できない限り一つの推論にすぎない。それほど荒唐無稽ではないが、本質的に新しい議論ではない。ホーキングなどの物理学者のほうが具体的に答えている。