文明の多系史観―世界史再解釈の試み (中央叢書)
非西洋世界で日本だけが自力で近代化を達成できたのは、ヨーロッパとよく似た「封建社会」と呼ばれる分権的な国家ができていたからだというのは、マルク・ブロック以来の通説で、それを「周辺国」としての日本とヨーロッパの共通性で説明したのが梅棹忠夫だった。

柄谷行人氏はそれを知らないで梅棹と似たような話をしているが、1998年に出た本書は梅棹を踏まえた上で、「生態史観」を一般化した「多系史観」を提唱している。

親族集団から国家へ梅棹が封建社会を生態学の「遷移」という単純なモデルで論じたのに対して、村上泰亮はこれを古代社会が親族集団の限界を超えて国家に進化した結果と考える。中国のような世界=帝国では強力な中央集権国家が全国を統治するが、その周辺の日本では親族を超えたイエやムラなどの社団(機能集団)ができ、それがゆるやかに結びつく。

ヨーロッパでも古代ローマ帝国が崩壊したあと、その周辺のゲルマン民族の共同体連合として神聖ローマ帝国ができたが、両者には大きな違いがあった。日本は海で隔てられていたのに対して、そういう自然な国境のないヨーロッパでは戦争が続き、それを統合するためにカトリック教会という全欧的な権威が成立した。

イエから国=家へ

両者に共通しているのは、ローマ帝国や中国をモデルにした擬文明帝国で、武力では統一できなかったことだが、ヨーロッパはこれをローマ帝国から継承したキリスト教という強力なイデオロギーで統一した。カトリック教会は異端を追放して信仰の中心としての地位を維持し、ヨーロッパは「キリスト教共同体」として秩序を保った。

これに対してほとんど対外的な戦争がなかった日本は、17世紀以降、天皇の権威は形骸化し、国内の戦争も幕藩体制で「凍結」されたため、「仏教共同体」は生まれなかった。明治時代に創作された「国家神道」は、いかがわしい新興宗教に近い。逆にいうと、それほど強力な宗教的権威なしで平和が保てたということだ。

その原因が、村上のいうイエ原則である。それは地域社会を大家族という擬制で統合し、イエの複合した「大イエ」として国=家を統治する、世界にも例をみない統治機構だった。「幕藩体制」というのは後世の造語で、当時の藩の正式名称は徳川家や島津家などの「家」だった。

それは日本人の国民性ではなく、イエの「空気」に全員を統合する同調圧力によるものだろう。ネット上で匿名になると、日本人が欧米人よりはるかに凶暴になるのは、こうした同調圧力が中間集団(社団)を統合する一方で、人々には大きなストレスになっていることを示唆する。