日本と中国、「脱近代」の誘惑 ――アジア的なものを再考する
ターガート・マーフィの日本論を読んで「またか」と思ったのは、日米関係についてはリアリストである多くの「知日派」が、アジアとの関係については「歴史問題」さえ乗り超えれば和解できると考えていることだ。

戦前の日韓併合から敗戦に至る失敗の歴史の根本にも、こういう「大アジア主義」があった。それは必ずしも侵略思想ではなく、北一輝が中国国民党と連帯したように「東洋的共和制」の思想でもあったが、結果的には二・二六事件になってしまった。

その失敗の原因についてのヒントが、本書に紹介されているウィットフォーゲルの言葉にある。マルクスは「プロレタリア独裁」を個人が独立して権力を分け合う西洋社会を統合する原理として考えたが、中国のように「単一化した権力のもとで長く暮らしたものは、権力を分け合うことがむずかしい」。そこにマルクス主義を輸入すると、古代的な専制国家に戻ってしまう。

権力は皇帝が独占し、民衆はそれに従うだけという国に2000年以上も慣れてきた人々には「民主的」な政治は想像できない。その逆に中世に全国的な政権がなくなり、「家」や「村」などの社団の寄せ集めでやってきた日本では、そういう絶対的な権力をつくろうとしてもつくれない。絶対王制をまねた明治憲法の「天皇制」は、アナーキーになってしまった。

もちろん中国でも皇帝が行政をすべてやることはできないので、実務は官僚に下ろすが、そこでも意思決定はつねにトップダウンで、その逆はない。他方、日本ではすべての決定はボトムアップで、この違いはフラクタルのようにどんなミクロな構造にもみられる。両者が「和解」するのは、水と油が化合するよりむずかしいのではないか。

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