
そもそも「天皇制」という言葉は日共(というよりコミンテルン)がつくったものだ。政治学用語では「君主制」だが、この命名は天皇家という私的な権威が公的な国家と癒合する日本の「国体」をうまくあらわしている。
日本は天皇という絶対君主に支配される封建社会であり、まず天皇制を打倒するブルジョア革命を行なった上で共産主義革命を実行せよ――というのが、コミンテルンの32年テーゼだった。これは日共の中でも論議を呼んだが綱領として採用され、これが激烈な弾圧の最大の原因となった。
日本が戦争に負けたとき、連合国の多くが天皇を処刑するか退位させ、天皇制を廃止すべきだと主張した。しかしそれに反対して天皇制を維持したのは、「国体護持」にこだわって降伏を遅らせた鈴木貫太郎内閣ではなかった。
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