人間の学としての倫理学 (岩波文庫)
本書のタイトルの「人間」というのは人(person)のことではない。漢語の「人間」とは「世の中」とか「世間」という意味で、「人間行路難」(蘇軾)とは「世の中を渡るのはむずかしい」という意味だ。『大言海』はこれが「俗に誤って人の意となった」と書いている。

倫理の「倫」も道徳という意味ではなく、本来は「仲間」とか「友達」という意味だった。この意味は今でも「精力絶倫」(他に比べる者がないほど精力が旺盛だ)という言葉に残っている。ヘーゲル哲学で「人倫」と訳されるSittlichkeitも、家族や親族を超える大きな共同体を意味する。

他方、やまとことばでは「ひと」は他人(ひとごと)をさすこともあれば、世間(ひとの噂も75日)の複数の人をさすこともある。このように曖昧な日本語を和辻哲郎はあえて逆用し、人々の間柄とか人間関係のあり方を考える「人間の学」として倫理学を考える。

ややこしいので和辻の意味での人間(関係)を<人間>と書くと、ヘーゲル哲学は<人間>学であり、マルクスの唯物論は素朴実在論ではなく「人間の本質は社会的諸関係の総体である」(フォイエルバッハ・テーゼ)という<人間>論である。この和辻のマルクス論は当時としては驚くほど斬新で、廣松渉の「関係主義」を40年ぐらい先取りしている。

続きは12月14日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。