近世大名家臣団の社会構造 (文春学藝ライブラリー)
非西洋世界で、なぜ日本だけがスムーズに近代化できたのかは自明の問題ではない。今までは司馬史観の影響で、明治維新は坂本龍馬などの勤王の志士が活躍した革命だと思われているが、あれを革命戦争と考えると、薩長だけで他の250藩を支配する徳川家に勝てるはずがない。

本書は武士についての一次史料を詳細に分析し、その身分制度が一般に思われているほど強固なものではなかったことを実証している。武士の身分は数十段階に細分化されていたが、著者はこれを侍(大名直属の武士)、徒士(下級武士)、足軽の3段階にわける。人数比はそれぞれ25%、25%、50%ぐらいだった。

時代劇に出てくるような袴をつけて刀をさす武士は侍と徒士だけで、足軽は普通の着物で刀もつねにもっていなかった。侍は世襲だったが、徒士は実力主義で町人から採用することもあった。足軽は、ふだんは農業などで生活する「非正規」の兼業武士だった。江戸時代の武士身分は、意外に流動的だったのだ。

18世紀以降は各藩の収入はほとんど増えなくなったが、足軽は農業で生活できたので所得は侍より多かった。侍は生活できる禄高をもらっていたが、徒士は兼業禁止なので生活は苦しく、彼らの不満が討幕運動になった。ただ儒教的な君臣秩序をくつがえすことは容易ではなかったので、それを正統化したイデオロギーが尊王思想だった。

つまり明治維新は革命というより武士の内部抗争であり、幕藩体制が統制経済や身分制度で財政的に破綻し、社会主義のように自壊したと考えたほうがいい。だから90年代の東欧のように体制移行はスムーズだったが、その正統性の根拠となった天皇には実体がなかった。

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