関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制 (講談社学術文庫)
厚労省と労働組合が死守しようとする大企業の日本型組織は、いろいろな点で幕藩体制に似ている。終身雇用・年功序列で閉鎖的であり、各事業部の独立性が強く、経営陣がその内部に介入できない。企業は多くの「家」の連合体で、経営陣はその上に乗る「みこし」のような存在なので、部門間の調整しかできない。

こういう幕藩体制ができたのは、関ヶ原の合戦で徳川家康が実権を握ってからだ。しかし彼は織田信長のように統一国家をめざさず、全国の1/3程度を直轄地(天領)とし、他の大名家(藩)には自治を許し、その法や税にも介入しなかった。こうした分権的な構造は、必然的に生まれたものではなかった。

関ヶ原の合戦は東軍(徳川勢)と西軍(豊臣勢)の天下分け目の合戦と思われているが、東軍のうち主力の3万人は、黒田長政などが説得して東軍に引き入れた豊臣系の大名であり、家康の軍勢はわずか6000人だった。このように「東西連合軍」で勝利したことが、のちの幕藩体制に影響を及ぼした。

それは多くの領邦がゆるやかに連合した社団国家という点では、神聖ローマ帝国やオスマン帝国に似ているが、徳川家は各藩の上に立つ皇帝ではなく、最大の領主にすぎない。その中途半端な支配体制の正統性は、つねにおびやかされていた。

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