きょうのアゴラ経済塾では、竹内健さん(中央大学教授)をお招きして東芝問題について話を聞く。私は一次情報をもっていないが、マスコミの報道では、西田厚聡社長の時代にやったウェスティングハウス(WH)の買収で大きな損失を抱えたことが「不適切会計」の原点にあるという点で一致している。

西田氏は、その現役時代には「選択と集中」を実現するカリスマ的な経営者として知られた。「原子力ルネサンス」といわれていた時代の中で、東芝はWHを6600億円で買収し、「2015年までに原発を39基受注し、原子力部門の売り上げを1兆円にする」という野心的な目標を立てたが、その計画は3・11で挫折する…

おもしろいのは西田氏の経歴だ。早稲田大学の政治経済学部を卒業し、東大大学院の政治学研究科で福田歓一のゼミに所属して政治思想史の博士課程まで行った。修士課程のときイラン人留学生と結婚し、彼女が東芝のイラン現地法人に勤務した縁で、イランで東芝に採用されたのだ。

そのイラン人留学生ファルディン・モタメディは、丸山眞男の『「文明論之概略」を読む』に登場する。彼のゼミを希望する理由を「日本は西欧の帝国主義的侵略の餌食とならず、19世紀に独立国家の建設に成功した東アジア唯一の国家であった。私はその起動力となった明治維新を知りたい」と語って丸山を感動させた彼女は、夫にも影響を与えただろう。
丸山は東大紛争で学生の標的になり、1969年に入院してそのまま退官したので、1970年に東大の大学院に入った西田氏は直接、丸山と接することはなかっただろうが、彼の妻は丸山ゼミに所属し、「そのレポートは日本人の学生を瞠若たらしめた」と彼が評したほど優秀だった。彼女を通じて丸山の思想は、西田氏に影響を与えたと思われる。

西田氏は修士課程に入ったばかりの1970年に、福田の推薦で『思想』に「フッサール現象学と相互主観性」という論文を発表している。修士ではフッサール、博士ではフィヒテを研究したというが、なぜかまったく畑違いの東芝に入社した。その理由は彼も語らないが、東大では「外様」の彼が政治思想史の世界で職を得ることは困難だっただろう。

彼はコンピュータ部門で日本メーカーが唯一、国際競争力をもっていたノートPCを担当し、PC9800のようなガラパゴス規格ではなく、IBM-PC互換機をつくって世界ナンバーワンの座を維持した。社長になってからは、HD-DVDなど不採算部門から撤退する一方、原子力とフラッシュメモリに巨額の重点投資を行ない、「チャレンジ」という言葉で現場に収益改善の圧力をかけた。

彼は文系だが、数字に強かったことでも知られる。HD-DVDのように巨額のサンクコストを抱えた部門でも、将来のキャッシュフローだけを見て撤退する判断は、普通の日本の経営者にはできないだろう。多くの大企業は、こういう不採算部門を切れないで衰退する。その典型がソニーである。

それに対して西田氏の判断は、2006年当時としては合理的だった。地球温暖化問題の切り札として原発が再評価され、東芝が開発したNAND型フラッシュメモリが注目を浴びているとき、それに思い切って投資する決断力は、当初は高く評価された。しかし彼の「チャレンジ」は現場には同調圧力となり、利益を「お化粧」することが常態になった。

竹内さんの話では、西田氏は集中投資はやったが、リストラはほとんどやらなかったという。結果的には、彼が集中投資したフラッシュメモリが黒字を稼いだため、だめな部門を延命する原資ができてしまった。しかしそういう余裕がなくなって、耐えられなくなった現場が内部告発しはじめたのだろう。

その意味では東芝も幕藩体制から続く「家」の連合体で、大企業になればなるほど資金繰りで追い込まれないので、問題を先送りしやすい。10月の記者会見で室町社長が「システムLSI、ディスクリート、映像、PC、白物家電」の5部門で人員整理も含むリストラを行なうことを明言したのは、黒船やGHQのように東芝の目を覚ますチャンスかもしれない。