脱学校の社会 (現代社会科学叢書)
アゴラで学校についての話題が盛り上がっているので、ちょっと解説しておこう。学校には人的資本を高める機能と子供を選別する機能(シグナリング)がある。経済学の通説では、義務教育には社会的な「外部性」があるので、公的な補助が必要だとされているが、高校以上の教育には疑問がある。

世銀の調査では、大学教育の社会的収益率はマイナスと推定されている。若者が4年間働かない機会費用が大きいからだ。しかし学歴のシグナリング効果は大きく、生涯所得は大卒と高卒で大きく違う。

つまり大学の私的収益率は高いが社会的収益率はマイナスで、社会的には浪費だというのが多くの経済学者の意見である。このようなビジネスを私学助成などで補助する必要はなく、バウチャー(奨学金)のような形で学生を支援し、多様な教育機関を育てたほうがいい。

こうした議論はかつて脱学校化(deschooling)として流行し、途上国で「校舎のない学校」で教育を行なう試みや、先進国ではインターネットで教育する試みなど、いろいろなNPOが生まれたが、先進国で生き残ったものはほとんどない。それは学校の最大の目的が、教育ではないからだ。
「大学バブル」の破壊から改革が始まる

途上国のように読み書きそろばんもできない子の多い国では初等教育の役割は大きいが、高等教育になると教育より選別の役割のほうが大きくなる。私がどこの小学校出身かは誰も知らないし知る必要もないが、私がどこの大学を出たかは私の社会的地位に大きく影響する。大卒平均と高卒平均の生涯収入は、5000万円ぐらい違う。

それが人的資本の価値を反映しているかどうかの調査もあるが、一卵性双生児が高卒と大卒で暮らしたケースをみると、学力は変わらないが所得は大きく違う。つまり大学の最大の価値は、大卒しか採用されない職種や会社に入ることができるという肩書きの価値なのだ。

これを経済学ではjob signalingと呼ぶが、この理論を発見したマイケル・スペンスは、ハーバード大学の経済学部長になって彼の理論に忠実に経営した。大学の価値は、その教育内容ではなくブランド価値なので、それを最大化するために世界中から高い報酬で優秀な教師を集め、テニュア(終身雇用権)をほとんど与えないで激しく競争させたのだ。

その結果、ハーバード大学は論文の引用数リストでつねに世界のトップクラスになり、それを見て優秀な学生が集まってくる。その学費は4年で20万ドルを超えるが、ハーバードの肩書きの価値はその数十倍あるので、彼らはローンで学費を借りて世界中から集まってくる。その結果、優秀な学生が集まって大学の財政が潤う…という好循環になるのだ。

これは一種の「バブル」で、多くの人々がハーバードのブランド価値を信じている限り、このバブルは維持できる。早稲田のように研究水準の低さは有名でも、偏差値が高いと優秀な学生が集まり、学生が優秀だから偏差値が上がるというバブルが維持できる。このため、早稲田の政経学部は一般入試を4割にしぼって偏差値を嵩上げしている。

結果的には、AOや推薦の「人物本位」で選ばれた残りの6割に、小保方や広末涼子のような学生が集まり、早稲田のブランドは地に落ちた。これはいいことで、大学に競争原理を機能させ、バブルを破壊することが教育改革に重要だ。大教室でやっているようなコースワークはネットでやり、本当の教育は塾のような小人数でやるべきだ。

義務教育は強制的な教育(compulsory education)であり、小中学校の「荒れる教育」も多様な子供を一律に教室に閉じ込めているから起こる。資金援助するなら、かつて福沢諭吉が始めた慶應義塾のような個人ベースの「脱学校化」した教育の可能性を広げるべきだと思う。