民主主義の本質と価値 他一篇 (岩波文庫)
安保法制をめぐる騒ぎで、野党が「強行採決」を阻止するドタバタを演じたのは、日本の政治にいまだに「家」システムの全員一致方式が残っていることを示している。みんなが納得するまで際限なく話し合い、全員一致できない問題は先送りするのが、稟議に代表される日本の意思決定である。

これに対してケルゼンは、議会制度の本質は多数決にあるという。多様な利害の衝突する社会で全員一致はありえないので、多数決で決める代わりに少数意見を弾圧しないことが議会の条件だ。ここでは稟議とは違って、紛争と妥協が前提とされている。
日本ではなぜ議会が育たなかったのか

日本でも全員一致になったのは江戸時代以降だ、と丸山眞男はいう。戦国時代までの流動的な社会では全員一致は不可能なので、紛争は暴力で決着をつけた。それを徳川幕府が統一し、「家」の連合政権として秩序を凍結した時代から稟議が始まった。ここでは一人でも異をとなえると何も決まらないので、紛争を抑圧するために同調圧力が強まる。

日本人はこういう意思決定が昔からあったと思いがちだが、丸山の指摘するように、貞永式目のころの武士は、紛争を前提に制度設計を行ない、幕府がその紛争処理を行なった。しかも執権の北条泰時など12人の名前が書かれ、彼らもこの法律に従うと書いている。つまり法の支配が明記されているのだ。

そして原告に対して被告は3問3答の弁明ができ、これに裁判官(評定所)が集団で判決を下すが、この発言順も抽選で決める。身分の上の者が最初に発言すると、その下の者が発言しにくくなるからだ。弁護人はないが、裁判官忌避の制度はある。ヨーロッパの近代法によく似ている。

それはなぜかというと、初期の大名(在地領主)にとっては、自分の支配している地域を幕府が「安堵」するだけで、本源的な所有権は大名にある。これはヨーロッパの封建制(社団国家)に近いが、江戸時代になると幕府と大名の関係が固定され、転封(国替え)されるようになる。藤田東湖はこれを「鉢植えの大名」と呼んだが、要するに在地性がなくなり、幕府の命令で転勤するサラリーマンになったわけだ。

こうして武士がサラリーマン化したことがその倫理意識にも影響し、紛争をきらう意識が強くなる。福沢諭吉がcompetitionを「競争」と訳したとき、幕府の役人が「争」の字はおだやかではないので消せと命じたというのは、有名な逸話である。本来は軍人だった武士が、幕末には争うこと自体を悪いと思うようになっていたのだ。

この点で、議会制度と稟議はまったく異なる。丸山はケルゼンを引用して、議会では意見がわかれることに意味があるという。最初から満場一致なんて社会主義国と同じ欺瞞で、日本人もそういう欺瞞に陥りやすい。ただし社会主義ではトップダウンで満場一致になるが、日本ではボトムアップでやる点が違う。

これを丸山はトレルチの分類で「セクト型」と「教会型」にわけ、日本の武士の原型はセクト型の自発的結社だという。それは貞永式目には明確に出ているが、徳川幕府がこれを教会型の支配と服従のヒエラルヒーに再編した。これを支えたのが儒学のイデオロギーだった。それが明治政府にも受け継がれたが、これは日本の伝統ではないのだ。

霞ヶ関の構造を変えないと日本は変わらない

いいかえると16世紀の戦国時代までは、日本の封建社会はヨーロッパとよく似た社団国家だったが、1600年の徳川幕府から「大分岐」したと考えることができる。その最大の原因は、戦争だろう。1648年にウェストファリア条約で主権国家を認めたことで、領主の自律性が強まり、ドイツの場合はプロイセンが戦争に次ぐ戦争で他国を併合してゆく。

さらにフランス革命とナポレオン戦争で全ヨーロッパが戦争に巻き込まれ、ほぼ200年間ずっと戦争が続く。日本でいえば、織田信長が全国を統一したら朝鮮半島から攻めてきたようなもので、国と国との対立が続き、しかも相手がつねに変化する流動的な社会なので、社会学でいう脱埋め込み化が起こり、近代的な個人が生まれ、身分制議会が民主政治になった。

これに対して日本では、紛争を幕藩体制という「大きな家」の中に封じ込めることに成功したので、対立が議会という形で顕在化しなかった。それを明治時代になって西洋から輸入したが、実質的な意思決定は行政の中で完結しているので、民権運動も帝国議会も「万年野党」でしかなかった。

今でも政治的な意思決定は霞ヶ関の稟議書で全員一致で行なわれ、閣議決定で終わる。国会は野次馬みたいなものだ。審議会や諮問委員会もあるが、中心は「事務方」の官僚である。だから日本の直面している行き詰まりを打開するには、この霞ヶ関の内部構造を変える必要がある。

それは民主党政権のように「政治主導」というスローガンを掲げるだけではだめで、人と金を動かす実質的な権限を内閣がもたないとだめだ。だから必要なのは、内閣の人事権や財務省の予算配分権によるチェック・アンド・バランスを強めることだろう。それには官邸スタッフを大幅に強化する必要があるが、内閣と財務省を合併して首相が蔵相を兼務するのも一案だ。