きのうの記事に「国家という語は易経にも出てくる古い言葉です」というコメントがついているので、細かい話だが補足しておく。「国家」という言葉そのものは2000年以上前からあるが、意味が違うのだ。Wiktionaryによれば、国家の語源は
古代中国における、諸侯のと卿大夫が治める(封建領土)の組み合わせ。天子の治める天下の対概念で、孟子等に見られる。明治期に、英語stateの訳語として当てられた。
古代中国の国家とは各地の豪族が支配する領邦のことで、皇帝の統治するのは天下つまり全世界なのだ。古代中国の封建制では、多くの国が併存して戦争したので、それを「天下」に統一したのが秦の始皇帝である。それ以来、中国の伝統的な王朝は国家ではなく、複数の国ができるのは天下が分裂した危機の時期だけだった。

これを明治時代に日本人がstateの訳語として、主権国家の意味に使った。今ではこれが中国に逆輸入されて「国家主席」などと使われるが、これは語源から考えるとおかしい。しかし日本は、本来の意味で国=家と呼ぶのがふさわしい。

江戸時代まで統一国家はなく、古代の大土地所有(荘園制)が崩壊したあとは、さまざまな国=家が離合集散してきた、「鎌倉幕府」とか「室町幕府」とかいう全国政権があったわけではなく、各国=家でそれぞれ軍備をもち、税を徴収していた。

それが再編されたのが応仁の乱だが、その後も統一国家はできなかった。「徳川幕府」も最大の領地をもつローカル政権にすぎない。ドイツでいえばプロイセンのようなものだが、それ以外の国=家を300に細分化して交通を遮断し、身分制度で固定した。こういう状態で250年間も平和が続いたのは驚異的だが、経済的には停滞した。

こういう社団国家が統一されるときは、ヨーロッパのように内戦が起こるのが普通だが、日本の場合はきわめてスムーズに移行した。その原因は武士に普及した儒学が、天子に代わる天皇というシンボルを利用して「日本」という国家意識を形成し、対外的な危機に際して近代国家としてまとまる必要があったからだろう。

今の日本も幕藩体制以来の社団国家であり、政治は選挙区の利害で決まり、官僚機構は省庁間の調整で動き、大企業の経営は部門間の合議で決まる。社団を超える強い指導者は出てこないし、たまに出てきても短命に終わる。これでは外交や安全保障などの政策が混乱するのは当然だ。

公的決定を官僚機構が独占したため、政策論争の行なわれる公共圏が成立せず、ハーバーマス的にいうとマスコミに商業化されて堕落した親密圏の集合体になり、政治家も個別利益の代表だ。こういう状態がITで改善されるかというと、人々はますます<私>に閉じこもるようになってしまった。

この行き詰まりを、政党政治で改革することはむずかしい。国会は官僚の決定を追認する儀式にすぎないからだ。必要なのは、政治の大部分をになっている官僚機構をチェックするしくみだろう。