宰相吉田茂 (中公クラシックス (J31))
戦後70年は、よくも悪くも吉田茂のつくった70年だった。安倍首相の否定する「戦後レジーム」とは「吉田ドクトリン」に他ならない。吉田もそれを暫定的なものと考えていたが、アメリカの強い要求を拒否して憲法を改正しなかった彼の決断が、その後の政治的なゆがみの原因となる一方、経済的なメリットは大きかった。

「茶坊主」と呼ばれた政治学者

高坂正堯は私の高校の先輩で、旧制の京一中が洛北高校となって最初の時期の卒業生だが、生徒会長として憲法の英文を引用して批判したという神話が残っている。本書も変則的な憲法を守った吉田の機会主義を批判しつつ、彼のリアリズムが「全面講和」を求める知識人の理想主義に勝った原因を的確に分析している。

そういう吉田の路線を「商人的政治観」と呼ぶ内容は常識的だが、そういう常識をつくったのが本書である。同じ時期に書かれた丸山眞男の『現代政治の思想と行動』のような切れ味や知的刺激はなく、高坂は自民党のブレーンとなって「茶坊主」と呼ばれたが、現実の政治を動かしたのは丸山ではなく高坂だった。
吉田が日本の「進歩的知識人」と対立したのは、1950年ごろからの「全面講和」か「多数講和」(と高坂は表現する)の論争だった。これは今からみてもそれなりに中身のある論争で、冷戦時代には西側に所属することは東側からの攻撃の対象となるので、双方との講和が必要だという丸山などの主張は、可能なら望ましい。

しかし1949年に中国で国民党が敗北したため、アメリカはアジアの防衛拠点を日本に移すことになり、連合国による極東委員会で多数決で講和条約を結ぶことを提唱した。これに対してソ連は米英ソと中共の4ヶ国で講和条約を結ぶべきだと主張し、交渉は平行線をたどった。高坂はこれをこう分析している。

理想主義者にとっては、冷戦は国際連合の理想が危機に瀕することを意味したし、そこから、この理想を支えるために少しでも努力する必要が導き出された。またそれは、国際連合の理想の上に安住していた憲法第9条をより実現困難なものとした。[…]憲法第9条によって戦争を放棄した日本の安全は世界政治の安定にもとづくほかはないのだから、米ソの対立を激化させる多数講和は避けるべきである(pp.53~4、協調は引用者)。

憲法第9条の前提は国連軍だった

しかし吉田は、これを逆に「米ソの協調が破れ、対立関係が発生したことは、その両者の間に介在する日本の価値が増大した」と考えた。アメリカは日本を西側の陣営に入れるために厚遇し、終戦直後の懲罰的な措置を改めるだろう――それは現に吉田の予想通りになった。

また戦前から英米派の外交官だった吉田は、全世界を一つにする同盟関係などというものがあるとは信じていなかった。第1次大戦以降、勝ったのはつねに英米と同盟を組んだ側であり、今後も共産主義の力がいかに大きくなっても、それは変わらないと考えていた。これは大国の力の均衡によってしか平和は実現しないという吉田のリアリズムだった。

それに対して南原繁を初めとする理想主義者は、憲法第9条の非武装主義は国連が有効に機能することと不可分であり、米ソに対立を持ち込む「片面講和」は国連を無力化し、日本を丸腰にしてしまう、と吉田に反対した。これは憲法制定議会で南原が自衛権の放棄に反対した論理と一貫している。つまり政治的に可能なのは

A. 憲法第9条+国連軍+全面講和
B. 再軍備+日米同盟+多数講和

のどちらかしかないのであり、南原や丸山が(実現不可能性を度外視する)学問的な立場からAによる恒久平和の道を主張したのに対して、吉田は可能な選択肢の中から多数講和を選んだのだ。そしていうまでもなく、正しかったのは吉田だった。厳密な意味での全面講和は、今も実現していない。

ここにはビスマルクもいったように、政治が可能性の技術だという特徴がよく示されている。理想の政治を追求していたらきりがないし、それが実現するかどうかもわからない。政治は現実に可能な選択肢の中から選ぶ技術なのである。

しかしこの吉田のプラグマティズムが、その後60年も日本政治に「ねじれ」を残すとは、彼も予想していなかっただろう。彼は第9条の絶対平和主義は上のような対米交渉のカードの1枚であり、保守勢力が協力すれば改正できると考えていた。しかし第9条は今なおねじれの原因であり、しかもその本来の前提だった国連軍は存在していない。

高坂はこの点で吉田の戦術を批判しつつも、「もし講和後に憲法を改正したとしても、その意味は限定的だっただろう」と彼を擁護する。冷戦時代において核兵器をもつ米ソの軍事的優位は圧倒的であり、核武装できない日本はアメリカの核の傘に入る以外に効果的な自衛手段をもっていないからだ。

こうみると1950年代の講和条約をめぐる論争には実質的な意味があり、南原は単なる「曲学阿世の徒」ではなかったが、論争は彼らの敗北に終わった。その後は、60年安保を最後に、南原も丸山も政治的発言はしなくなった。ビスマルクの格言は丸山の愛用する言葉でもあり、彼は一国平和主義を否定し、最後まで集団安全保障を理想としていた。

しかしアメリカが日本に軍事力の分担を求める中で、野党が闇雲に「戦争法案」に反対する今国会には、そういう実質的な意味が何もない。野党にもマスコミにも、サンフランシスコ条約以降の60年以上の世界情勢の変化がまったく見えていないのだ。