ルーズベルトの死の秘密: 日本が戦った男の死に方
本書はルーズベルトの病歴を洗い直し、彼が1930年代から皮膚癌にかかっており、40年代にはそれが脳に転移していた疑いを調査したものだ。今となっては決定的な証拠はないが、有馬哲夫氏も「ヤルタ会談のルーズベルトは正常な判断力を失っていた疑いがある」と推定している。

このとき南樺太や北方領土をソ連に与えたばかりでなく、ポーランドや東ドイツをソ連に与えたことは、その後の冷戦において力のバランスに重大な影響を与えた。さらにさかのぼれば、1940年から近衛文麿の重ねて求めた和平会談を拒否し、日本を挑発する最後通牒(ハル・ノート)を出したことは、ヨーロッパと中国で局地的に行なわれていた戦争を「世界大戦」に拡大したが、それは必要だったのだろうか。
もちろん日中戦争は侵略だったし、南部仏印進駐でルーズベルトに口実を与えたことは愚かだった。しかし今までいわれていたほど一方的に日本がバカだったのではなく、世界大戦を求めるルーズベルトの計画に乗せられた面も強いことがわかってきた。

フランスは40年にはドイツの支配下にあったので、アメリカが参戦しなければ、イギリスもヒトラーに占領され、ヨーロッパは「第三帝国」になっていたかもしれない。その意味では、チャーチルとの個人的な友情で参戦したルーズベルトの判断が誤っていたともいえないが、それが戦争の規模を全世界に拡大したことは明らかだ。ヒトラーのヨーロッパ支配は、アメリカが参戦しなくても10年ぐらいで終わっていたのではないか。

特に、ヒトラーに宣戦布告させるダシに使われただけの日米戦争は――日本にとってのみならずアメリカにとっても――意味があったのだろうか。最近、公開された『蒋介石日記』をみると、1930年代から彼がルーズベルトに繰り返し日米開戦を迫っていたことがわかる。結果的には、アメリカは国民党を本気で支援しなかったので、日中戦争の勝者は毛沢東だった。