常識の立場 (文春学藝ライブラリー)
今月からアゴラ読書塾(まだ申し込めます)は、戦後の保守派知識人を読む。左翼が劣化したおかげで自民党政権は盤石だが、彼らは戦後の「論壇」では一貫してバカにされる傍流だった。本書はそういう保守派が『文藝春秋』に書いた記事を集めたものだ。

しかしいま読むと、常識的でつまらない。その原因は、彼らの批判していた空想的平和主義や社会主義が崩壊し、かつては異端だった彼らが常識になってしまったからだ。小泉信三の「平和論」は1952年に「全面講和論」を批判したものだが、軍事力もなしに中立を守る国は世界中どこにもないという主張は「ごもっとも」というしかない。

林健太郎の「マルクス主義との格闘」も、歴史学において講座派マルクス主義の影響が戦後も強く残り、そういうドグマと闘って実証的な歴史学を築くことがいかに大変だったかという体験談だが、これもご苦労様というしかない。

ただ冷戦の終結で敵がいなくなると、保守も劣化する。江藤淳は靖国神社を「日本古来の伝統」として情緒的に語り、福田和也の「帝王学」は教育勅語を絶賛し、佐伯啓思は小泉改革に反対してバラマキ公共事業を主張する。日本の未来を考える上では、こういう劣化した保守も清算しなければならない。

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