民主党がいまだに「正社員」を中心とする戦時レジームに執着しているのは厚労省と同じだが、その「一家」としての企業というモデルは戦時体制より古い。日本社会が幕藩体制から明治以降の近代国家にスムーズに移行できたのも、この「家」というモデルが継承されたためだろう。

それはもちろん家族そのものではなく、中国などにみられる大規模な親族集団(宗族)でもない。それは「一族郎党」という言葉にみられる機能集団であり、適当な家長がいない場合には養子をとることも多かった。このように血縁にこだわらない親族集団は珍しく、大名のような行政機構が「家」としてまとまったのも、こうした伝統によるものと思われる。

なぜ日本の「家」がこのように早くから機能集団になったのかは興味ある問題だが、それが結果的に日本の産業化を促進したことはまちがいない。拙著『情報通信革命と日本企業』から引用しておこう。
日露戦争以後、軍需が急速にのびたため、設備の拡張によって職工の不足と賃金の急騰が生じるとともに、労働者の地位の向上にともなって1906-7 年にかけて各地の造船所で大規模な争議が起き、深刻な経営問題となりつつあった。

これに対応するために日本の経営者も内部請負制の間接的管理体制から経営者による直接的管理体制に移行しはじめたが、そのコースは垂直統合型の企業とは対照的な経営家族主義によるものであった。

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