日本の「国体」も、韓国の反日と同じ負のナショナリズムだった。治安維持法で「国体を変革する」者は取り締まられたが、国体の具体的な中身は規定されていなかった。それは幕藩体制から受け継いだバラバラの国民を万世一系の天皇家の重みでつなぎ止めようとする、キリスト教の代用品だったからだ。

しかし30年代前半までは、立憲君主制を守る官僚や知識人の重臣リベラリズムが生きていた、と丸山眞男は書いている。天皇機関説は「解釈改憲」で天皇を棚上げして議院内閣制に近づけたもので、実際の官僚はそれで運用していた。

ところが帝国議会で「護憲派」が天皇機関説を攻撃し、「国体明徴運動」が高まると重臣は沈黙し、文部省は「国体の本義」を出した。重臣リベラルの依拠していたのは昭和天皇の精神的権威だけだったが、彼は結局、軍民の盛り上げる「空気」に抵抗できなかった――これが戦後に丸山の総括した「重臣リベラルの限界」だった。

これを教訓として、戦後の丸山はリベラルが政治運動の先頭に立つべきだと考え、軍部の復活を阻止するために全面講和や安保反対のリーダーとなった。しかしその運動は挫折し、彼は自分の大きな見落としに気づく。

続きは今夜11時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。