十字架と三色旗――近代フランスにおける政教分離 (岩波現代文庫)
昨年のシャルリ・エブド事件のとき驚いたのは、テロそのものより直後の大規模な抗議デモだった。マンガ雑誌の事件に対して、わずか4日後に、EU各国首脳を先頭にしてフランス全土で370万人ものデモ行進が行なわれたのには違和感を覚えた。

日本のマスコミは「さすが表現の自由を重んじる近代市民革命の祖国だ」などと感心していたが、これはお門違いである。本書の「文庫版エピローグ」には、その背景が解説されている。

キーワードはライシテである。日本語には対応する言葉がないが、「世俗主義」などと訳される。これはフランス革命の掲げた思想で、それはカトリック教会が国家まで支配する社会から個人を自由にする脱宗教革命だった。
このとき印象的なのは、民衆の襲撃の対象になったのが告解所だったとことである。これも日本人には理解できないだろうが、フーコーが指摘したように、告解こそ教会が個人の内面まで支配する権力装置だった。そこでつくられた<個人>とは、絶対的な神に従う者=主体(subject)だったのだ。

カトリック教会は古代ローマ帝国の支配機関であり、軍事力で統治できない広域の民衆を信仰で統合する装置だった。それは本来は個々の部族に依存しない超越的な神によって地域を超えた帝国を結びつけるシステムだったが、神の代理人にすぎないカトリック教会が次第に大きな力をもち、神聖ローマ帝国の皇帝と対立するほどの精神的権威をもつようになった。

ここからドイツでは、ルター派がカトリック教会を批判し、封建領主が彼を利用して長い宗教戦争が続いたが、フランスではカトリック教会がブルボン家などと結託してプロテスタントを駆逐し、絶対王制によって国家が統一された。これは軍事的にはドイツより強力だったが、宗教と国家が一体化した圧政になった。

これに対して起こった「脱宗教革命」がフランス革命だった。ロベスピエールは無神論者ではなかったが、カトリック教会を徹底的に敵視し、革命勢力は各地の教会を破壊し、聖職者を解任した。中でも最大の標的は告解所だった。聖職者は告解によって信徒の秘密を聞き、日常生活に介入したからだ。

それは離婚や避妊の禁止など性生活に介入することも多く、聖職者は信徒ひとりひとりのプライバシーを監視して操作した。嘘をついた者は地獄に墜ちる。信徒の罪を許す特権はしばしば脅迫となり、金銭を要求する腐敗が横行した。それが免罪符として「市場経済」で流通するようになったことが、宗教改革のきっかけだった。

しかしナポレオンはカトリック教会と妥協したため、教会の支配権は19世紀にも残り、ようやく1905年に政教分離法で和解した。これを実現したのは、のちにパリ不戦条約を起草したブリアンだった。それは中世以来の何が「正しい戦争」かをめぐる戦争に終止符を打ち、教会と俗権が互いに干渉しないライシテの実現だった。

今フランスやヨーロッパを脅かしているのは、全欧で5500万人といわれるイスラム教徒の移民による新たな宗教戦争である。公立学校でイスラム教徒の少女がスカーフを着用することがフランス全国で大論争になるのも日本人には理解できないが、彼らはかつて公立学校の十字架を撤去するのに100年以上かかったのだ。

カトリック教会は衰退する古代の遺制だったが、イスラムは新興国の台頭とともに世界に広がり、ヨーロッパでは移民問題が深刻化している。フランスでは、イスラム教徒が大統領になって学校をすべてイスラム化するという未来小説がベストセラーになった。これを排斥しようとする極右との衝突も激化している。

著者はフランスの未来について、あまり楽観的な見通しはもてないという。イスラム系の移民は増える一方で、彼らの出生率は高いため、フランスの人口の1割を超えた。しかも彼らは他の宗教に対して不寛容で、テロも辞さない――400年前のフランス人がそうだったように。

これがシャルリ・エブド事件の背景である。日本人は知らないが、移民問題(特にイスラム系)は、海外では毎日テロや難民の事件として報道されている。「移民受け入れ20万人」などといっている自民党は、平和ボケというしかない。