第三の男 [DVD]
オーソン・ウェルズ主演の映画「第三の男」に、有名なせりふがある。
イタリアでは、ボルジア家の30年の圧制はミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、そしてルネッサンスを生んだが、スイスの500年のデモクラシーと平和は何を生んだ? 鳩時計さ。
これにならっていうと、神聖ローマ帝国が崩壊した後のドイツは200年にわたる戦乱の中ででヘーゲルやベートーベンやゲーテを生み出したが、徳川300年の平和は浮世絵ぐらいしか生み出さなかった。

もちろん平和なほうがいいのだが、宗教戦争と疫病で人口が半減したドイツでは、人々はつねに死に直面し、「人生に意味はあるのか」とか「神は存在するのか」などと考えざるをえない。彼らの暮らしていた中世の共同体は崩壊したので、バラバラの個人が何に依拠して生きるのか、という哲学的な問題をいつも考えていた。

それに対して平和だった江戸時代の日本では、人々はのんびり何も考えないで暮らしていた。全体を統治する絶対権力者も一神教も定着せず、天皇の権力は将軍に、将軍の権力は老中に…というように分散し、ボトムアップの「現場主義」で意思決定が行なわれる。この不思議な構造を、丸山眞男は晩年の論文「政事の構造」で解明した。

そこにみられる古代から受け継がれた中心のない国は、初期に丸山が「特殊主義」と呼んだような特殊な構造ではない。その単位となったのは、文化人類学が明らかにしたように未開民族では普遍的にみられる氏族(親族集団)である。

普通はこうした氏族社会の間に戦争が起こり、強い武力をもつ集団が弱い集団を飲み込んで自然国家を形成する。これが極大化したのが中国であり、主権国家という形で併存したのがヨーロッパだが、日本社会はそのどちらでもない。それを支えている原理は何なのだろうか。

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