戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか (PHP新書)
はじめに

戦後70年の歴史を振り返るとき、かつての戦争についてそれぞれの思いを抱くことだろう。ひところは「自虐史観」を否定する人々が物議をかもし、彼らは「歴史修正主義」と呼ばれた。しかしそういうイデオロギー対立から、そろそろ自由になってもいいのではないだろうか。

とりわけ修正主義をたたくことに熱心だった朝日新聞が、2014年8月の慰安婦問題についての特集記事で「自爆」を遂げた事件は、日本のメディアの歴史に残るだろう。それは単にジャーナリズムの問題ではなく、日本人の歴史意識を規定していた一方の極が、みずからの欺瞞を告白した、まれにみる出来事だった。
慰安婦そのものは、大した問題ではない。私はその発端となった1991年の事件から立ち会い、その経緯は『朝日新聞 世紀の大誤報』にも書いたが、第2次世界大戦の戦場に娼婦がいたというだけの話である。しかしこの問題を取材したことは、私にとっても大きな転機だった。
 
当時、私はNHK大阪放送局で終戦特集の取材をしていたのだが、そこに慰安婦の話を売り込んできたのが福島瑞穂弁護士(現参議院議員)だった。われわれは日本の戦争犯罪を暴く新しい材料だと思って、その裏づけを取るべく朝鮮半島で取材したが、日本軍が連行したという事実は(男女を問わず)見つからなかった。
 
それでも労働者を日本の炭鉱などに運んだのが軍の輸送船だったという公文書が見つかり、NHKは「日本軍に責任はある」という番組をつくった。朝日も強制連行の証拠を見つけたわけではないのだが、1992年1月に「日本軍が慰安婦に関与した」という記事を1面トップで出し、これが日韓関係のこじれる発端となった。
 
その後も私は「日本の戦争犯罪」を取材する中で、それまでの歴史認識に疑問をもつようになった。確かに日本はアジア各地で戦争をして多くの犠牲者を出したが、それは軍国主義者が領土を拡大するための「帝国主義戦争」だったのだろうか。朝鮮半島を植民地支配した歴史はあるが、朝鮮人労働者を「強制連行」した結果、彼らが在日朝鮮人になったというのは本当だろうか。
 
疑問をもって調べると、現在の歴史学ではこういう事実がほぼ否定されていることがわかる。それはひところ「自虐史観」と「修正主義」の論争になったが、不幸なのは、こうした歴史の見直しを主張したのが昔ながらの右派だったため、これが新たなイデオロギー論争になってしまったことだ。
 
こうした史実を疑う人々は「右翼」と呼ばれ、左翼よりさらに悪いイメージがついて回る。それは大衆レベルでは暴力団と結びつく、戦争を肯定して対外的な敵対心をあおる人々で、普通の社会では発言の場がないのでネット上の発言が多く、「ネトウヨ」と呼ばれる。
 
安倍首相は、いまだにそういう右翼的イメージで見られ、海外メディアからも危険視されているが、彼の歴史観はそうおかしなものではない。むしろこの程度の歴史の見直しすら「修正主義」として指弾され、メディアから締め出される現状がゆがんでいるのだ。
 
ここでいう「リベラル」は本来の自由主義とは違う意味で、主としてアメリカで定着した「大きな政府」を志向する人々をさす。これはヨーロッパでは左翼とは区別されるが、日本では中道左派の人々が左翼という言葉をきらってリベラルと自称するようになった。彼らは反戦・平和を至上目的とし、戦争について考えないことが平和を守ることだという錯覚が戦後70年、続いてきた。

今回の誤報問題は、これを客観的に検証するチャンスである。それはリベラルな人々の主張する「反原発」や「分配の平等」などの固定観念を疑うきっかけともなろう。彼らは戦後の論壇で主流だったが、何も変えることができなかった。全面講和も安保反対も大学解体も、スローガンに終わった。彼らの唯一の(消極的な)成果は、憲法改正を阻止したことだろう。
 
東大法学部から朝日新聞に至る日本の知的エリートが敗北したのは、なぜだろうか。そこには日本の抱える深い問題がある。本書は戦後の歴史をたどりつつ、歴史を変えることのできなかったリベラルな知識人の挫折の原因をさぐる「敗者の戦後史」である。

目次

プロローグ 私が左翼だったころ
第1章 朝日新聞の挫折
第2章 「平和主義」のユートピア
第3章 メディアが日本を戦争に巻き込んだ
第4章 メディアのつくった原発の恐怖
第5章 地獄への道は温情主義で舗装されている
第6章 進歩的文化人の劣化
第7章 「オール野党」になった政治
第8章 戦後リベラルの栄光と挫折
第9章 左翼はなぜ敗北したのか
エピローグ 「普通の国」への長い道