Social Dynamics
本書は最近のゲーム理論(と実験)のサーベイだが、もうナッシュ均衡の概念はほとんど出てこない。それは第一近似としては意味があったが、多人数のゲームでナッシュ均衡(不動点)を計算することは不可能であり、現実に人々はそんな計算をしていないからだ。

囚人のジレンマもほとんど出てこない。それはジレンマではなく支配戦略の一つに決まったゲームであり、人々はそういう答のわかりきったゲームをしていないからだ。「社会的動学」のモデルはもっと一般的な共通利益ゲームであり、答は複数あって決まらない。
では社会秩序はどうやって維持されているのか。著者の答は、コミュニケーションである。人々は「最適反応」を合理的に計算しているのではなく、ひたすら他人と話し、その行動を学習して模倣しているのだ。そして十分多くのコミュニケーションがあれば、学習によって効率的なナッシュ均衡に近づくことが示せる。

しかしコミュニケーションだけで秩序を維持するコストは大きい。特に約束を破るspiteが増えると、平等社会では排除できない。そこでこうした異分子を排除する制度として「契約」ができたというのが著者の理論である。だから経済学が契約をモデルに考えてきたのは逆で――ヒュームがのべたように――契約はこのようなconventionを強制する制度にすぎない。

こう考えると、特殊なしくみのようにみえる日本社会の「空気」は、むしろ単純な共通利益ゲームであり、その秩序を維持するために膨大なコミュニケーションで学習していると考えることができる。本書も示すように人的な流動性の大きい社会では、こういうシステムは負荷が大きく実用的ではないが、理論的に不可能ではない。

日本社会の効率が高い一つの原因は、このように強い同調圧力で人々の行動が予想可能になっていることだろう。普通はコミュニケーションだけで同期を取る計算量は大きいので、地域を固定する(地縁集団)とか親族に限定する(血縁集団)などのlocal interactionが必要だが、日本人は組織をタコツボ化して計算量を節約している。

これに対して、部族社会に分断されたままのアラブやアフリカでは、部族を超えたコミュニケーションが成立しないので、イスラムのように大きな集団を統合する暴力装置(法=宗教)が必要になる。他方の極に同質的な日本社会があり、その中間に親族(中国)や契約(西洋)がある。

しかしこの同質性は、日本人の国民性ではない。匿名掲示板が異様に発達していることをみてもわかるように、日本人が同質的にみえるのはつねにタコツボ内で同調圧力を受けているからで、その「空気」から解放されると凶暴になる。人々は多かれ少なかれ、内なる暴力を抑圧して生活しているのだ。