超国家主義の論理と心理 他八篇 (岩波文庫)
表題になった1946年の論文は丸山眞男の、というより戦後の社会科学の代表作だが、当時はそれほど大きな影響力をもったわけではない。戦前の日本を「超国家主義」という奇妙な名前で呼んだのも彼だけで、そのファシズム論もその後ほとんど継承されなかった。

戦後の論壇で圧倒的な影響力をもったのは、マルクス主義だった。本書の第2部にはマルクスについての論文も収められているが、丸山はマルクスの強い影響を受けながらも賛同できず、終生その違和感を自問し続けた。
しかし彼の価値は、マルクス主義に同化せず、自分の言葉で天皇制国家を論じた点にある。その特徴は、ヒトラーのような独裁者なしで「何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入した」ことにある。東條英機の有名な国会答弁は印象的だ。
東条といふものは一個の草莽の臣である。あなた方と一つも変りはない。ただ私は総理大臣といふ職責を与えられてゐる。ここで違ふ。これは陛下の御光を受けてはじめて光る。陛下の御光がなかったら石ころにも等しいものだ。(本書p.31、強調は丸山)
東條が反射板のようなものだったとしても、天皇も光を発することのできない受動的な君主だった。日本を戦争に駆り立てた究極の光源はどこにあったのか――丸山はこの問いに答えず、1940年代末から「全面講和」などの政治活動に傾斜してゆく。

丸山が政治的ヒーローになったのは、この時期から60年安保までだが、運動は挫折し、日本の革新勢力は無力な万年野党になってゆく。彼は60年代以降は「夜店」の政治活動を退いて「本店」の日本政治思想史の研究に戻り、政治的発言はほとんどしなくなった。

表題作は、日本の国家的意思決定に西洋の国家論で理解できない独特のゆがみがあることを明らかにしたが、それは何だったのか。そこに西洋と通じる普遍性はあるのか――講義録や研究ノートを読むと、丸山が60年代から一貫してこの問題を追究していたことがわかるが、彼はついに答を出すことができなかった。それはあまりに日本的な問題で、既存の社会科学にはそれを考える分析用具がないのだ。

このため朝日新聞や岩波書店に集まったエピゴーネンは、丸山が「夜店」で売り出したわかりやすい「平和主義」のユートピアを売り続け、集団的自衛権を推進する自民党に反戦平和の革新勢力が対抗する、という50年代の丸山のような図式が、いまだに繰り返されている。他方で、何となく何物かに押されつつ決める政治は変わらない。

本書に集められたのは丸山が「平和勢力」の教祖だったころの論文で、賞味期限はとっくに切れたが、丸山入門としては悪くない。特に表題作は戦争を日本的意思決定の欠陥として分析した独創的な研究であり、いまだに学ぶべきものが多い。