先日のVlogでも話したことだが、ピケティのいうegaliteは、朝日新聞的な結果の平等ではない。そういう心情倫理の見本である竹信三恵子元編集委員が『ピケティ入門』なる本を書いているのは、悪い冗談というしかない。
フランスの人権の根本にあるのは、自己武装権である。フランス革命のときは武装した民衆がゲリラだったので、彼らが国王(正規軍)に対して武器を取って自分の身体を守る権利が人権だった。国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞はこうである。
行こう 祖国の子らよ 栄光の日が来た!
我らに向かって暴君の血まみれの旗が掲げられた
聞こえるか 戦場の残忍な敵兵の咆哮が?
奴らは我らの元に来て我らの子と妻の喉を掻き切る!
武器を取れ市民らよ 隊列を組め
進もう! 進もう!
汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで!
桑田佳祐が歌ったら放送禁止になることは確実だが、これは今でもフランスの公式行事で斉唱されている。

そして他国の干渉に対してフランス国民が武装したのが徴兵制の起源であり、このように高い士気を保ったことが、革命軍(武装ゲリラ)が絶対主義国の傭兵に勝った原因だった。こうした自己武装が近代国家の起源であり、命を捨てるためにはその身体だけでなく財産も保護する所有権(身体の自由権)は不可侵でなければならない。

国を守るのは自分の権利を守るためであって、その逆ではない。佐伯啓思氏はこれを「お国のために命を捨てる」という日本的な家父長主義と混同しているが、両者は対極にある。朝日新聞の温情主義も、それに反対しているようで同根である。

ピケティも書いているように、彼の主張する人権は「自分の労働の成果を取る権利」であって「働いてない人も平等に金をもらう権利」ではない。それは究極の自己責任の思想であり、自己の権利を守るために国家の経済への介入を求める社会主義にもなる。

英米の保守主義はこういうフランス的な人権を「危険な思想」として批判するが、資本主義が国家を飲み込んで世界に戦争の種をまき散らしているとすれば、そっちのほうが危険な思想かもしれない。