総力戦体制 (ちくま学芸文庫)
「戦争が資本主義を生んだ」というのが『資本主義の正体』のテーマだが、この問題はようやく日本でも論じられ始めた。本書は私とは違う角度から、戦時中の総力戦体制が戦後の高度成長を生んだ、という議論を検証している。

これは野口悠紀雄氏の「1940年体制論」としておなじみだが、その起源はなんと丸山眞男の学生時代の論文「政治学に於ける国家の概念」(1936)にさかのぼる。個人主義と天皇制国家を止揚する「弁証法的な全体主義」を展望した丸山の思想は、当時の社民勢力に呼応するものだったが、彼らが大政翼賛会に真っ先に合流して戦時体制に協力した。
これは大河内一男などの社会政策の伝統にもつながる。大河内は戦前の論文で、労働者を疎外して部品化する資本主義を批判し、「戦争は経済体制の戦時体制への編成を通じて社会政策を強度に押し進める」として、産業報国会を高く評価した。これらの論文は戦後はすべて絶版になったが、彼の理念は丸山や大塚久雄にも共有されていた。

そして戦後の占領統治でも、こうした左翼が占領軍のニューディーラーに協力し、戦後復興の総動員体制ができた。それは不在地主や財閥を解体することによって、資本主義の中心を株式会社から銀行に移す国家資本主義だった。これは結果的に大成功し、通産省のターゲティング政策も効果を発揮した。

しかし総力戦体制は「一国資本主義」であり、グローバル化とともに行き詰まる。金利を規制して資本コストを抑え、貯蓄を奨励して高い資本蓄積を実現した日本型の産業政策と産業金融は、目的関数がはっきりして資本不足の時代には機能したが、資本過剰になるとその効率的な配分ができない。

本書はマルクス主義の側からこの問題をみているので議論が混乱しているが、1930年代以降の日本の政治・経済体制がほぼ一貫して国家社会主義だったという指摘は正しい。それが複数均衡状態でのビッグ・プッシュとして機能したことも、最近の経済史で再評価されている。

その伝統を受け継ぐ(岸信介のつくった)通産省の産業政策は「均衡選択」の局面ではきいたが、経済が成熟するとじゃまになる。官民ファンドが乱立している状況は、総力戦体制の末期症状である。こうした霞ヶ関の家父長主義の源流は、社会政策の流れをくむ戦後リベラルと同じなのだ。