首相の年頭会見で、次の部分が気になった:
次なる80年、90年、そして100年に向けて日本は積極的平和主義の旗のもと、世界の平和と安定のため、一層貢献していかなければなりません。その明確な意志をこの節目の年に当たり、世界に向けて発信したいと思います。
この「積極的平和主義」が具体的に何を意味しているのか、よくわからない。朝日新聞などは、これを「積極的に戦争を仕掛ける思想」と解釈して、安倍首相は好戦的だといいたいようだが、平和主義という言葉にそんな意味はない。Websterで引くと、pacifismとは

 1.opposition to war or violence as a means of settling disputes
 2.an attitude or policy of nonresistance


日常語では、後者の無抵抗主義という意味で使われることが多い。具体的には、敵が攻めてきても、武力で対抗しないで降伏するという考え方である。だから、この英訳であるproactive pacifismは「積極的無抵抗主義」という形容矛盾になってしまう。

そこは一歩ゆずって、憲法第9条の「国権の発動たる戦争を放棄する」という意味だとしても、それは日本国憲法で初めて宣言されたものではない。アゴラこども版でも説明したように、これは1928年に締結されて日本も批准した不戦条約の規定のコピーなのだ。

つまり丸山眞男が指摘したように、日本は明治憲法でも平和主義だったのであり、安倍首相のような改憲論者が平和主義をとなえることは整合的だ。逆にいうと、およそ「戦争主義」をとなえる国家がない以上、「日本は平和主義だ」という言明には何の意味もない。

これは小さなことのように見えるだろうが、戦後70年の節目に歴史を考えなおすとき、不戦条約とは何だったのか、そしてその平和主義がなぜ空文化して第2次大戦に至ったのかというのは、きわめて重要な問題である。積極的平和主義という言葉は、「私は不戦条約を知らない」と世界に表明するに等しい。