資本主義の正体 マルクスで読み解くグローバル経済の歴史
カール・マルクスの『資本論:経済学批判』が1867年に自費出版されたとき、初版1000部が売れるのに5年かかり、英語には20年間訳されなかった。それは20世紀に社会主義の聖典として歴史上もっとも影響力のある本になったが、最後まで読んだ人はほとんどいないだろう。理解されないまま、社会主義の崩壊とともにマルクスは忘れられた。

しかし初版から150年近くたった今、マルクスが新たな脚光を浴びている。フランスの経済学者、トマ・ピケティの書いた『21世紀の資本』は、アマゾン・ドットコムのベストセラー第1位になった。この本の内容はマルクスとほとんど関係ないが、資本蓄積によって資本家がますます豊かになり、資本主義がグローバル化するにつれて格差はさらに拡大する、という予想は同じだ。
いま日本の置かれている状況を考えるとき、この問題は重要である。かつて日本は自由貿易の最大の受益者だった。資源のない日本が安く輸入した原料を品質のよい工業製品に加工して輸出し、短期間に先進国にキャッチアップした。しかし中国を初めとする新興国にキャッチアップされる側になった今、政府も日本企業も戦略の根本的な転換を迫られている。

いまだに「貿易立国」の幻想を抱く安倍政権は、財政・金融政策で円安に誘導して景気を回復しようとしたが、輸出は増えず、輸入が激増して貿易赤字は史上最大になった。原油価格の上昇や原発の停止によってエネルギー価格は上がり、成長率はゼロに近づいている。実質賃金は下がり続け、非正社員が増えて格差が拡大している。まるで21世紀にマルクスが再臨したようだ。
 
本書では現代の経済学の成果をもとにしてマルクスを読み直し、彼の目で16世紀以来のグローバル資本主義の歴史を見直す。彼の思想が「社会主義の崩壊」で葬られたと思うのは大きな間違いである。ソ連や東欧の体制が1980年代末に崩壊する前から、それは理想とは考えられていなかった。「反スターリニズム」を掲げた新左翼は、資本主義とともに既存の社会主義も否定したのだ。
 
といっても本書は「グローバリズム」を指弾し、貧困化する労働者の味方としてマルクスを再評価する類の本でもない。マルクスが分配の平等を主張したことは一度もなく、グローバル化に反対したこともない。それどころか彼は国家が分配の平等を実現しようとする温情主義を否定し、グローバル資本主義が伝統的社会を破壊するダイナミズムを賞賛したのだ。
 
もちろんマルクスが、社会主義の悲劇に責任がないわけではない。彼の主張した「プロレタリア独裁」は、社会主義国家の暴力革命や一党独裁を正当化するために使われた。世界の歴史を前近代的な社会から資本主義への発展段階としてとらえた「唯物史観」の影響はいまだに強く、彼の単線的な進歩史観はヨーロッパ中心主義として指弾されることも多い。
 
しかし非ヨーロッパ圏の経済発展にも、今のところ資本主義以外のモデルはない。かつては市場経済ができれば資本が蓄積されて経済が成長するというスミス的モデルが想定されていたが、戦後の開発援助の失敗はそういうモデルを反証した。最近の数量経済史の研究で明らかになった史実は、イギリスは海外の植民地からの収奪によって資本蓄積を実現したというマルクス的モデルに近い。
 
資本主義の暴力的な本質を明らかにしたマルクスは、それに対して「自由人のアソシエーション」を構想した。それは労働者管理の協同組合だったが、ある意味では日本型資本主義として実現されたともいえる。そして今、日本経済が陥っている苦境の背景には、その限界がある。
 
マルクスは経済学者としては忘れられたが、思想的には今なお現役だ。クロード・レヴィ=ストロースは若いころ社会主義の活動家であり、ミシェル・フーコーは共産党員だった。1990年代になってジャック・デリダは『マルクスの亡霊たち』を書き、ジル・ドゥルーズは晩年に『マルクスの偉大さ』という本を書きたいと言っていた。
 
それはマルクスの思想が、よく悪くもモダニズムの完成された形態だからだろう。彼の予言した通りグローバル資本主義は拡大を続け、その恐るべき破壊力で非ヨーロッパ世界を飲み込んでいる。それがなぜこれほど大きなエネルギーをもつのかを、資本による支配構造から解明した点で、彼は現代の経済学よりはるかに進んでいた。
 
市場メカニズムが完全に動く状態を前提とする新古典派経済学は、制度としての資本主義を語ることができない。新興国で多様な資本主義が生まれ、先進国でもピケティのように資本主義の制度的な欠陥についての指摘が出ているが、新古典派は何もいうことができない。資本主義のゆくえを考える上でも、マルクスの歴史的な手法のほうが有効だ。21世紀の今も、マルクスは未来的である。

目次

序章 資本が世界を文明化する
 貿易立国の終わり/グローバル資本主義は格差を拡大する/誤解された教祖

第一章 自由主義者マルクス
 疎外論から資本論へ/亡霊が人々を支配する/人類史の三段階論/土台と上部構造の逆転/市民社会は国家である/私的所有と個人的所有/等価交換から不等価交換へ/権力の配分メカニズム/自由人のアソシエーション
 BOX1:不完備契約と所有権

第二章 資本主義という奇蹟
 唯物史観の公式/「大分岐」はなぜ起こったのか/「産業革命」の神話/新大陸の過剰な資源/所有権と国家/株式会社と有限責任/都市が工業化を生んだ/市民と消費文化/「科学革命」は革命ではなかった
 BOX2:産業革命と勤勉革命の岐路 

第三章 血まみれの手
 資本主義の原罪/大英帝国を生んだ奴隷貿易/海賊から海軍へ/従属理論から世界システムへ/ヘゲモニーの移動/ジェントルマン資本主義/財政=軍事国家としての大英帝国/国債というイノベーション/アカウンタビリティと法の支配/臣民から主体へ
 BOX3:ビッグ・プッシュ 

第四章 神の秩序と法の支配
 『プロ倫』の神話/キリスト教の中の無神論/植民地支配とキリスト教/教会法から市民法へ/自由主義の思想/神の秩序から法の支配へ
 BOX4:開かれた社会と非人格的ルール 

第五章 アジアの没落
 戦争機械から自然国家へ/中国の大盗賊/世界史上初の「法治国家」/儒教的メリトクラシー/知識人の支配する国/法の支配の欠如/鎖国という分岐点/インドの陥った罠/マルクスのオリエンタリズム
 BOX5:東洋のソフトパワー 

第六章 帝国主義から〈帝国〉へ
 植民地の「垂直統合」/帝国主義の収支決算/マルクスからケインズへ/ケインズは資本主義を救ったのか/仮想的な〈帝国〉/垂直統合から水平分業へ/大英帝国は衰退しない
 BOX6:過少消費の理論

第七章 大分岐から大収斂へ
 東洋への「リオリエント」/愚民政治の伝統/「中国の奇蹟」は終わったのか/日本型デモクラシー/大収斂で格差が拡大する/グローバルな格差は縮小する/国内格差は拡大する/資本主義の根本的矛盾/資本主義と国家の闘い
 BOX7:ピケティと現代の成長理論 

第八章 日本型資本主義の終わり
 日本的経営の起源/所有と経営の分離/日本は経営者資本主義のモデル/勤勉革命から産業革命へ/アソシエーションの挫折/民主制から独裁へ/企業の解体・再編/G型産業とL型産業/都市間競争の時代
 BOX8:合理的官僚としての武士 

終章 資本主義のゆくえ
 成長から幸福度へ/必要の国と自由の国/労働と余暇の分離/労働が目的になる社会/ヨーロッパ中心主義の限界/新たな国家の役割