総選挙では、与野党の勢力分野がほとんど変わらなかった。自民党が勝ったというより、野党の負けた選挙である。代表が落選した民主党だけでなく、維新の党も次世代の党も、バラバラのままで安倍首相に奇襲攻撃され、壊滅した。
小選挙区制のもとで少数党が生き残れないことは20年前からわかっているのに、いまだに野党はまとまることができない。このように小集団に閉じこもって近代社会に適応できない日本人を、福田恆存は適応異常と呼んだ。

農村では、人々はコミュニティの「大壁」に守られていたが、その壁が取っ払われた近代社会で生きていくには、法のような普遍的ルールが必要だ。しかし日本人はキリスト教のような絶対者をもたないので、どこでも身の回りにローカルな「小壁」をつくる。山谷や釜ヶ崎でも身内のコミュニティを築き、相互扶助する。福田は、これを日本の根本問題と考えた。
ここに私は日本の近代化を「近代化に対する適応異常の歴史」として見直すことを提案します。[・・・]丸山眞男氏が日本の近代社会の「前近代性」として批判してゐた「蛸壺型」は山谷・釜ヶ崎と同じ現象であり、やはり適応異常の原因にして結果であると考えられないでせうか(「適応異常について」)。
このような日本社会の特徴は、中根千枝の「タテ[割り]社会」以来ずっと指摘されてきたが、もとは世界のどこにもあった農村共同体である。丸山もいうように、そういう共同体の「フェデレーション」ができるのは珍しいことではない。驚くべきなのは、このような「大きな農村」が近代社会で機能していることだ。

このような自然発生的フェデレーションでは、規模が大きくなると必ず対外的・対内的な紛争が起こる。それを解決するには最終決定を行なう主権者が必要で、バラバラのままでは戦争に勝てない。ところが平和の続いた日本ではタコツボ集団の自律性が強く、「小壁」をこわす主権者を拒否してきた。

政党は選挙に勝つための戦闘集団なのだから、規模の大きい党が有利であることは自明だ。自民党も個人後援会のフェデレーションであり、安倍首相と河野太郎氏の政策の違いは民主と維新より大きいが、首相をみこしとして連合して戦っている。その程度の政治的戦術もない今の野党が政権を取ることは、永遠に不可能だろう。