Political Order and Political Decay: From the Industrial Revolution to the Globalization of Democracy
『政治の起源』に続く、フランシス・フクヤマの大著の完結編。すべて読む時間はないので、ざっと日本に関する部分だけを読んでみた。

おもしろいのは、武士に対する高い評価だ。非ヨーロッパ世界で、なぜ日本だけが近代化に成功したのかという謎の答を、フクヤマは武家のウェーバー的官僚制に求める。その倫理は中国から輸入された儒学であり、天皇を形骸化して君主の権力を制限するシステムを世界でもっとも早くつくったのも日本だった――という説明には儒学に対する過大評価があるが、武士の倫理が近代社会の基盤になったという見方は丸山眞男と似ている。
ただ丸山が、武士の倫理は私的な「家」への忠誠で普遍性をもちえなかったと否定的にみるのに対して、フクヤマは江戸時代の各藩の法制度や徴税制度が、同時代のヨーロッパに比べても非人格的で公平だったと指摘している。すべての政治システムは私的利害によって腐敗するもので、それが近代社会の最大の問題なのだが、日本の武士は相対的には清潔で優秀だったという。

それがなぜなのかは本書には書いてないが、私の印象では、村請などのボトムアップの監視が強かったためではないか。中国のように国家のスパンが大きすぎると、権力者はチェックされる心配がなく、民衆もチェックする気がなくなるが、日本では権力の単位が小さいため、民衆の同意がないと課税できなかった。

国家を支配階級と被支配階級の闘争と考えるのはマルクス主義の悪影響で、国家は安全というサービスを提供する重要なシステムだ。国家の効率が経済成長を大きく左右するのであって、その逆ではない。日本の武士は明治維新とともに消えたと思われているが、実は明治国家の支配者のほとんどは元武士だった。

前編から一貫するフクヤマの問題意識は、近代国家を成功させた要因は何かということだ。それは一つではないが、もっとも重要なのは法の支配とアカウンタビリティである。民主制は必要条件ではなく、往々にしてアメリカのように非効率で腐敗した政治システムをもたらす。

しかし歴史的にみると、自由な民主制が経済的にも成功している。その原因は、すべての人々が平等に扱われ、自分もその一員だと感じることだろう。これは戦争に人々を動員する上で重要であり、政治権力を制限するインセンティブともなる。チャーチルもいったように民主制は最悪だが、それよりましな制度は今のところ見当たらないのだ。