丸山眞男話文集 続 2
私は朝日新聞に代表される通俗的な「戦後リベラル」には何の価値もないと思うが、丸山眞男に代表される日本の自由主義の伝統は、継承する必要があると思う。本書は今年まで営々と続けられた彼の座談を集める作業の最終巻だが、たとえば彼の次のような言葉は、集団的自衛権を拒否することがリベラルの生命線だと思っている人々には驚きだろう。
今の日本の問題提起が、マスコミ、社会党も含めておかしいのは、日本国憲法を守れという一国平和主義。つまり一国平和主義対PKOという対立になっている。こんなおかしなことはないんですよ。国連至上主義でいいんだ。国連至上主義を貫くためには、国連の機構を根本的に改革しないといけない。(p.146)
ここで丸山はPKO(国連平和維持活動)に賛成し、集団安全保障が未来の国家の姿だと考えている。この立場から、彼は社会党や(朝日に代表される)マスコミの「一国平和主義」を強く批判し、「社会党はほんとにバカだと思う」とか「知的水準が低い」などと罵倒している。

集団安全保障システムとして国連が機能するかどうかは疑問だが、彼が見ていたのは、経済のグローバル化が先行し、物理的な領土に制約される主権国家がそれについていけない現実だった。武力に依拠する国家の均衡は、武力でしか実現できない。それを超えるのは経済のグローバル化かもしれない、という彼の発想はピケティと似ている面もある。

本書でも丸山が強調するのは、国家とは暴力装置であり、それをどうコントロールするかが政治のほぼすべてだというウェーバー的な政治哲学である。だから政治は必要悪であり、それを理想化することは社会主義のような悪夢をもたらす。マルクスは、こうした国家の暗黒面を過小評価して「自由の国」ができれば国家は死滅すると考えた点で、致命的に誤っていたと丸山は指摘する。これは独創的とはいえないが、本質的なマルクス批判である。

同じ観点から、彼は「人権」の絶対化も拒否し、アムネスティに同調しない。すべての人に「天から与えられた人権」とは、フランス革命のつくったフィクションであり、それはキリスト教的な普遍主義ではあっても普遍ではない。「女性の人権」というお題目で誤報問題をごまかそうとしている朝日新聞の幹部にも読んでほしいものだ。

丸山は60年安保の派手な活動を最後に、「論壇」からは引退してしまったため、もう終わった「戦後民主主義」の教祖ぐらいにしかみられていないが、その射程は(きょう死去した)坂本義和氏のような第9条原理主義者よりはるかに広い。辛うじて残っていた戦後リベラルの火は、朝日の大誤報とともに「爆縮」し、土井たか子氏や坂本氏とともに消えた。その「焼け跡」から出発する上で、本書は一つの足がかりになろう。