韓国併合百年と「在日」 (新潮選書)
日本人が自分のアイデンティティを意識したことはほとんどないだろうが、世界の中でそういう幸福な民族は少ない。在日韓国人は逆に、世界にも珍しいほど複雑にねじれた歴史を背負っている。それが彼らのルサンチマンになっていることを理解しないで罵声を浴びせる在特会の行動は許されない。

在日が問題にするのは1910年の日韓併合だが、これは本書も認めるように国際法上は合法的な条約で、「侵略」でも「戦争」の結果でもない。それが「義兵闘争」を弾圧した結果だったことは事実だが、彼らの大部分は大韓帝国の兵士であり、それは李王朝以来の封建制と近代的な軍隊の戦いだったから、後者の圧勝に終わった。
もう一つの問題は、戦後処理だ。終戦直後に60万人いた在日朝鮮人は、1952年のサンフランシスコ条約ですべて日本国籍を失った。これを「民事局長通達による一方的な国籍剥奪」と指弾する人がいまだにいるが、これは韓国政府の要請だった、と本書は指摘する。
[日韓小委員会で]在日の立場を無視し、双方の「国益」が一致したのは、日韓双方が対日講和条約締結後、日本が独立した際、在日朝鮮人に国籍選択の自由を与えないとした点である。日本政府は在日朝鮮人の日本国籍取得を認めないという立場から、韓国政府は国籍選択権を在日の人々に与えると在日の多くが北朝鮮国籍を申請することを恐れたからである。(pp.186-7)
当時の北朝鮮は「理想郷」として賛美され、朝日新聞などは朝鮮総連の「帰国運動」を支援した。だから国籍喪失を「在日は誰も反対せず、当然と受け止めた」。朝鮮半島に新しい母国が建設されるのに、何を好んで屈辱的な日本国民になる必要があろうか。

当初、日本は在日を強制退去させようとしたが、韓国政府はこれを認めず、国籍を失った在日は不法滞在の状態になった。これは1965年の日韓地位協定で部分的には解決したが、その後も在日は日本国民としての権利を認められないまま納税義務を負っている。これが今も続く彼らの反日意識の原因だが、それは自業自得である。

日本政府は(当初はきびしい条件つきで)国籍の取得を認めたが、民団などの在日団体は帰化を拒否した。それは民族の誇りや植民地時代の同化政策への反発、あるいは「戦勝国」意識などによるものだったが、次第に祖国の実態が明らかになると、帰化して日本に永住する在日が増えてきた。そういう人々は「新日本人」と呼ばれて、在日社会から排除された。

このため日本国籍をもたないまま参政権を要求する奇妙な運動が続いたが、今では帰化は容易なので、それをしないで日本国民としての権利を要求する論理は成り立たない。欧米には密入国した移民が国籍を要求する運動はあるが、国籍も取らないで参政権を要求する運動は世界に例をみない。

一時期までは格差是正措置の意味もあったが、在日二世・三世が「日本化」した今では、不合理な「逆差別」は在特会などの民族差別を生み、日韓の憎悪の悪循環を生むだけだ。特別永住資格は廃止し、在日は(著者のように)帰化して日本国民として権利を行使すればいい。