毎日新聞によると、朝日新聞の元西部本社代表の清田治史の勤務する帝塚山学院大学に「清田が辞めないと大学を爆破する」という脅迫状が届き、彼は大学を退職した。この情報源は私のブログで紹介した長岡元論説委員のコラムだと思われるが、奇妙な状況になっているので、コメントしておく。
朝日新聞はきのう、こういう不可解な訂正記事を出した。
初報は1982年9月2日付大阪本社朝刊の記事として、「執筆した大阪社会部の記者(66)は『講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった』と話す」と記しました。しかし、その後、この元記者は当該記事の執筆者ではないことがわかりました

元記者は社内の取材班の調査に対し、当該記事を含めて吉田氏に関する記事を数本書いたと認めていました。しかし、元記者がその後、海外への渡航記録を調べたところ、大阪市内で講演のあった82年9月1日時点で国内にいなかったことが判明し、記憶違いであることが確認されました。その後の吉田氏に関する記事は実際に書いていました。

特集記事の掲載後、当時の大阪社会部にいた別の元記者が「吉田氏の記事を書いたことが1度だけある。初報は自分が書いた記事かもしれない」と名乗り出ています。
この大阪社会部の記者(66)が清田氏だが、いくら32年前のこととはいえ、自分が書いていない記事を書いたと「記憶違い」することがあるだろうか(その逆はあるかもしれないが)。社内調査は、かなりずさんだったのではないか。

清田氏の最大の疑惑は、1997年の特集で吉田証言の誤報をもみ消したことだ。これについて今月の文藝春秋で、若宮啓文元主筆はこう書いている。
97年に朝日は従軍慰安婦に関する特集記事を掲載しましたが、その中で吉田証言の扱いも課題となりました。当時、私は政治部長でしたから、それなりに特集と関わっていた。社内にはこの際、吉田証言を取り消した方がよいという意見があり、私もその一人でした。

しかし、検証したグループには「そこまで踏み切るのは難しい」という意見も強かった。[…]その結果、「氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」と記述するにとどまりました。
このとき訂正に抵抗したのが、当時の外報部長だった清田氏である。彼は役員までなり、経営方針として慰安婦デマを流して国家賠償を要求した朝日のキャンペーンの責任者だった。公の場に出てきて、朝日の大好きな「説明責任」を果たすべきだ。