宇沢先生が死去した。私は彼のゼミではなかったが、なぜか毎週のように飲みに連れて行ってもらった。すごい酒豪で、一晩にビールを1ダースぐらい飲んだ。学問的な話はほとんどなく、経済学者のゴシップが大好きだった。

東大数学科の特別研究生だったが、弥永昌吉と喧嘩して大学院をやめたという。保険会社に就職したが、ハウタッカーに見出されてアメリカに渡り、1950年代にアロウやハーウィッツなどと非線形計画理論という数学的にむずかしい分野を開拓した。
60年代にはそれを動学的に拡張した成長理論を構築し、内生的成長理論の先駆とされる。この分野でノーベル賞が出れば、Paul Romerとともに受賞する可能性もあった。彼の最適成長理論も、のちの動学的均衡理論の原型になった。

しかし宇沢モデルは家計消費を最大化する条件を導く規範的理論だったのに、ルーカス以降は「代表的家計」が永遠の未来を正確に予想し、実際に消費を最大化すると想定する理論にすり替わった。これに彼は批判的で、「合理的期待は水際で止める」と公言し、日本の経済学界は世界から取り残された。

ワルラス的な均衡理論を動学的なマクロ経済に拡張すると時間の扱いがむずかしく、ルーカス以降の理論は実質的に時間を無視して未来を現在に引き戻す理論だった。それがナンセンスだという批判は正しいのだが、まじめに時間を入れた動学モデルをつくると、彼の「不均衡動学」のように複雑怪奇で理解できないものになる。

数学的に行き詰まった40代以降の彼の業績には、見るべきものがない。数学者としては超一流だったが、「社会科学はわからない」と言っていた。思想的には左翼で、晩年には農本主義に回帰して荒唐無稽な農業保護論を主張した。

学問的には、宇沢先生の批判は正しい。最近の動学マクロ理論は、動的計画法でマクロ経済を計画経済として記述するようになっているが、これはアセモグルも認めるように「頭の体操」である。現実のマクロ経済は数学で記述するには複雑すぎるので、それを理解するための大ざっぱなベンチマークにすぎない。

最近は、動学的均衡理論への批判が強まっている。クルーグマンなども「DSGEのような超長期の均衡理論には意味がない」といって「一時的均衡理論」を提唱している。そういう理論の元祖は、ケインズである。宇沢先生も、毎年ケインズの『一般理論』をゼミのテキストにしていた。