韓国併合への道 完全版 (文春新書 870)
JBpressの記事の補足。日韓の「歴史問題」は事実関係においては決着しているが、その解釈には政治がからむのでむずかしい。韓国から日本語でからんでくるコメントを読むと、「日帝36年」が幻想であることは認めるが、初期には「抗日戦争」があったと思いたいようだ。

たしかに1905年に日露戦争が終わってから、1910年の日韓併合までに(日本軍の資料で)延べ14万人が参加し、1万7000人余りが死亡した「反日義兵闘争」があった。彼らの脳内ではこれが抗日戦争ということになっているらしい。
しかしこれは組織的な戦争ではなく、安重根のテロのような散発的なゲリラ戦で、日本側の死者はわずか133名だった。このように死者の数が大きく違うのは、なぜだろうか。本書の次の指摘は重要である。
義兵闘争という形で行なわれた武装闘争を限界づけたのは、それが王室守護と「衛正斥邪」をかかげる儒生たちの伝統的な守旧思想から脱却しきれなかったところにあった、という見方がある。しかしそれは逆で、だからこそ彼らだけに武装抗戦が可能だったのである。近代的な改革思想をもってしては、当時の韓国で大衆的な支持を得て武装闘争を展開することなどまったく不可能であった。(p.192)
それは大韓帝国を守る抵抗勢力の戦いだったから、装備も貧弱で、近代的な軍隊組織をもっていなかったのだ。日本は大韓帝国を改革しようとしたが、その抵抗は強く、結果的には保護国にするしかなかった。

日本は今の北朝鮮のような状態だった朝鮮半島を近代化したが、そのインフラ投資の負担が財政を大きく圧迫した。これに対して韓国の中でも賛否がわかれ、日本と対等に一体化して近代化しようという一進会の「合邦運動」もあったが、結果的には「併合」によって日本の植民地になった。

だから抗日戦争はほとんどなかったが、韓国併合はネトウヨの思っているようなバラ色の対等合併でもない。それはあくまでも日本支配下の植民地で、インフラは整備されたが、教育や戸籍の差別は残った。大学はできたが義務教育は実施されず、文盲率は70%以上だった。「朝鮮籍」は日本国籍とは別で、選挙権・被選挙権もなかった。それは決して日本が誇れる歴史ではない。

結果論としていうなら、韓国併合は大失敗であり、日本はよけいな世話を焼かないで、大韓帝国が自滅するにまかせておけばよかった。ロシアが南進してきても、この貧弱な国を建て直すのにコストがかかりすぎて、日本まで攻めてはこられなかっただろう。

しかしそれは100年たった今、いえることであり、当時の日本が朝鮮を支配しようと考えたのは、ごく自然なことだった。韓国人には気の毒だが、併合は国際的にも認められ、東京裁判でも問題にされなかった。したがって韓国が抗日戦争の「戦勝国」になることもありえないのだ。