今週のメルマガで少し書いたが、知らない人も多いので、歴史のおさらいをしておこう。「吉田証言が崩れてもわれわれは正しい」と朝日新聞も報道ステーションNYTも主張しているが、あれが嘘であることは20年前にわかっている。本質はそんなことではなく、朝日新聞の創作した大きな物語にあるのだ。
あす放送の言論アリーナで片山杜秀氏もいっていたが、終戦直後に日本が絶対平和主義の憲法をつくったのは「GHQの押しつけ」ではない。「第2次大戦が最終戦争で、枢軸国がなくなればもう戦争は起こらない」というのが、丸山眞男から石原莞爾に至る幅広い日本人の認識で、憲法改正のときも第9条にはほとんど反対がなかった。

しかし1948年ごろから冷戦が始まり、日本でもレッドパージなどの「逆コース」で、岸信介などの戦犯が公職に復帰する。これに反対する「護憲勢力」が左翼の中心となり、吉田茂はこれを利用して軽武装で軍事費を節約した。彼は平和主義者ではなく、憲法第9条は日本を警戒するアメリカやアジア諸国に対する「間近な政治的効果に重きを置いたもの」だった。

しかし結果的には、この吉田ドクトリンが、戦後の日本の方向を決めてしまった。そのコアにあったのは、米ソが連合国として戦ったポツダム体制だった。ここでは日本を徹底的に無力化するために軍備を奪い、共産党や労働組合を育成して民主化することが最優先の課題だった。これが安倍首相の敵視する「戦後レジーム」だ。

冷戦が始まるとポツダム体制は崩れ、日本はアメリカの同盟国になったが、それでも自民党は政権党でありながら憲法改正をめざす「異端」で、野党は憲法を守る「正統」だというねじれた関係が、ずっと続いてきた。一貫して少数だった野党が憲法を守ることができたのは、朝日新聞に代表される護憲勢力の力が大きい。

1950年ごろに寿命の終わっていた体制を吉田が延命し、自民党内のハト派や「全面講和」を求める左翼が守り、絶対平和主義が日本の国是になってしまった。日本は実質的にはアメリカと一体で核武装したが、国内的には「戦争放棄」の建て前を崩さなかった。だから戦後70年たって、戦後レジームの柱だった朝日新聞が崩壊する影響は小さくない。

ポツダム体制も冷戦も終わったあと、世界経済では先進国と新興国の対立が深まっている。特に政治的にもプレゼンスを増す中国をどう扱うかが厄介な問題だ。かつて支配者と被支配者の立場にあり、冷戦では同盟国に準ずる位置にいた韓国がどっち側に入るかは意外に重要だが、慰安婦騒動では儒教ブロックの愚民国家であることを証明した。

だから冷戦の終了から20年以上たっても、終戦直後の感覚で「集団的自衛権反対」や「アジアとの和解」などと言っている朝日新聞は、2周遅れなのだ。彼らもそんなお題目は信じてないだろうが、まだ護憲勢力を信じる大衆は多く、それが高級タブロイド紙としての朝日の営業を支えている。そういうレガシーが消え去らない限り、日本の政治は正常化しない。