今夜のアゴラ読書塾は『未完のファシズム』の片山杜秀さんと話した。彼が慰安婦問題で注目したのは、90年代には強制連行が焦点だったのが、2000年代にはフェミニズムが入り込んできて、強制だろうとなかろうと(賃金をもらっても)売春は性奴隷だという話にすり替わってしまったことだ。
これは私も驚いた。メルマガでも書いたように、NHKが放送した「女性国際戦犯法廷」は、弁護人もつけないで昭和天皇に欠席裁判で有罪判決を出す恐るべきイベントだったが、このときの罪状は強姦罪だった。いうまでもないが、慰安婦は売春であって強姦ではない。ここまでめちゃくちゃになると、もう反論のしようもない。

片山氏もいうように、この問題は憲法第9条のような「戦後的な価値」を守ろうとした人々が「目的がよければ嘘は許される」と考えて暴走したものだが、そこにボスニアの大量強姦事件などの性犯罪の話がごちゃごちゃになって欧米で盛り上がった。そこに目をつけた韓国が慰安婦像などのキャンペーンを張ったわけだが、外務省は「河野談話で決着ずみ」という以上の対応をしなかった。

この騒ぎの主役が、松井やよりだった。彼女は問題の火付け役になった1992年のアジア連帯会議を福島みずほ氏とともに主催し、「元慰安婦に(シナリオ通りに)言わせるのは大変なのよね」といい、インドに住むタイ人女性が「インドに来た英国兵はもっと悪いことをした」というと「黙りなさい。余計なことをいうな!」とどなりつけたという。

フェミニズムなんてイズムと呼ぶほどの思想ではなく、上野千鶴子氏のようなセックスを売り物にする読み物にすぎないが、これも社会主義の終わったあとの左翼の数少ないよりどころだった。その流行も終わるころに、「女性の人権」にすがってフェミニストの救いをもとめる朝日新聞のおじさんは、ちょっと哀れでもある。

来週の言論アリーナでは、片山さんの話の前半を紹介する。