丸山眞男は座談の名手で、9巻の座談集まで出ているが、本書はそれとは別にまとめられた1984年の座談会だ。印象的なのは、丸山が戦後リベラルの看板である「平和主義」を徹底的に否定していることだ。彼は、政治の本質は暴力だという。
政治という領域は、極限状態においては殺すということを予想しているわけです。大部分の政治はそれなんだ。暴力的対立を前提にしてるんです。[…]紛争それ自体を悪いことだとする考え方が、日本人の国民性かというと、もともとそうじゃないんですよ。むしろ、こっちのほうこそ、幕藩制から明治天皇に至る間にできた負の遺産なんです。
ここには、最近の歴史学で論争になっている「暴力史観」に似た発想がある。政治の根源には暴力があり、それを抑止することが国家のコア機能だという丸山の直観はウェーバーを継承したものだが、それを抑圧する伝統が「負の遺産」だという彼の話は聞き手に理解できず、話が噛み合わない。

彼はここから「紛争それ自体を悪いことだとする考え方」がいかに誤っているかを論じ、それを乗り超える思想が武士にはあったという。その例が貞永式目だ。これは日本の伝統的な意思決定である「満場一致」ではなく、紛争を前提にして司法的に解決するしくみだ。
日本は非常に危険な国です。「和」の名において、実は強制が行なわれる。そういう危険のほうが、より大きいと僕は思うんだ。だから、まず「紛争」というのを間に置けば、その点は大丈夫なわけです。そうではなく、「統合」から出発しちゃうと、紛争それ自体がいけないんだという、幕藩体制から儒教なんかが大いに要請した秩序本位の考え方のほうに行っちゃう。
丸山は、こういう日本的な平和主義こそファシズムの温床だったという。明治憲法では「天皇は帝国議会の協賛をもって立法権を行なう」となっているが、これは草案では「承認」だった。それを協賛としたことで議会の意味はなくなり、「翼賛までは一歩の差」だったという。みんながボトムアップの「空気」で決め、少数派を排除する日本は「危険な国」なのだ。

おなじみの「超国家主義の論理と心理」とは逆に、ここで彼が日本の失敗の原因として指摘しているのは天皇制ではなく、江戸時代以降の平和主義である。戦後の「革新陣営」は戦争の原因が軍隊だと考えて軍隊をなくす新憲法を理想化したが、それは問題を逆にみている。軍隊の暴走をもたらしたのは、このような「和」の精神なのだ。それは「古層」ではなく、もっと新しい層でつくられたもので、これからも再生産される可能性がある。

本書には戦後リベラルを乗り超えるヒントがあるが、通信販売で、本屋でもアマゾンでも手に入らない。どこかの出版社が普通の本として出版してはどうだろうか。