朝日新聞の特集はきのうが本論で、きょうは「識者のコメント」だけだ。その中では「強制連行の定義が曖昧だ」という秦郁彦氏の批判が重要だ。

最初、朝日は吉田清治のいうような「慰安婦狩り」が多数行なわれたと報道したのに、それが嘘だとわかると「挺身隊の強制連行」にすり替え、それが嘘だとわかると「強制性」に定義を拡大してきた。こういうごまかしの主犯が吉見義明氏だ。
彼は1995年に出した『従軍慰安婦』では「強制連行」という言葉を使わないで「朝鮮総督府が募集に協力した」と書いている。ところが韓国政府が「強制連行を認めろ」と要求してきたとき、それを肯定する朝日新聞の報道に協力した。その理由は、次のような論理だ。
その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはないからである。たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ。(『従軍慰安婦』p.103)
この定義に従えば、募集も斡旋もすべて強制だ。なぜなら娼婦はすべて「何らかの強制の結果」だからである。これは反証不可能なトートロジーだ。彼は1997年の「朝まで生テレビ」で「日本の植民地(朝鮮、台湾)については、強制連行を示す資料はない」と明言した。

要するに彼のいう「強制性」とは、公娼のことなのだ。公娼は政府が管理し、保健所の検査などが義務づけられていた。公娼の一部に人身売買があったことも周知の事実だ。女衒が女性をだまして連れてきた事例も多い。この定義によれば、韓国で朝鮮戦争の米軍用慰安婦122人が、韓国政府に補償を求める訴訟を起こしたのも当然だ。吉原の娼婦にも、同じ権利がある。

吉見氏のような話はいかにも「人権派」にみえるが、実は娼婦や韓国人を蔑視する自民族中心主義だ。国家と資本がすべてを支配し、民衆はそれに搾取されるだけという階級闘争史観は、吉見氏の時代までは歴史学の主流だったが、今は学問的には問題にならない。彼がその極左的な主張を朝日新聞を利用して世界に広めたことが、日韓関係をめちゃくちゃにした責任を反省すべきだ。