中韓の民度が低いというと「ヘイトスピーチだ」とかいう下らないコメントがわいて来るので、今週の言論アリーナでもいった福沢諭吉の「脱亜論」を紹介しておこう。これは1885年に『時事新報』に書かれた無署名の社説で「入欧」という言葉はなく、厳密には福沢が書いたかどうかわからないが、彼の主張と一致している。
支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、此二國の者共は一身に就き又一國に關してして改進の道を知らず。[…]此文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云ひ、學校の教旨は仁義禮智と稱し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、其實際に於ては眞理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し
中韓の距離は日本より近く、どっちも改革を知らない。教育は儒教主義で外面の虚飾だけを重んじるが、実際には科学を知らないばかりか道徳も知らず、残酷で恥知らずで傲慢で反省もしない――これは今なら放送禁止の「ヘイトスピーチ」だが、彼の中韓への愛情が裏切られたことによる絶縁宣言だった。

今の北朝鮮のような状態だった李氏朝鮮を清の支配から独立させて近代化しようという金玉均など改革派の高級官僚は、福沢のもとに留学して日本の制度を学んだ。福沢もそれを支援したが、彼らの改革は清の袁世凱に弾圧されて挫折し、金はクーデタに失敗して殺される。福沢はこれに絶望して、中韓と縁を切るべきだと主張したのだ。

これはのちの北一輝や大川周明が「アジアとの連帯」を重視したのとは対照的だ。北は国民党の宋教仁と連携して「東洋的共和制」を実現しようとしたが、宋は袁に暗殺され、軍閥の割拠する中国に日本は引きずり込まれてゆく。日本を大失敗に導いたのは福沢の脱亜論ではなく、「五族協和」を主張した超国家主義者だった。

日本の外交も「東アジア共同体」のような幻想は抱かず、互いにわかりあえないことを理解し、福沢のように「隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ」と割り切って妙な贖罪意識は捨て、対抗措置を取るべきときは取る常識的な外交をしたほうがいい。