今週のメルマガでもちょっと書いたが、日本人と韓国人は遺伝的にも地理的にもほとんど同じなのに、極端に国民性が違うのはなぜだろうか。それは先日も紹介した不完備契約理論で説明できる。
中国は絶対王制のようにみえるが、科挙で選ばれた官僚(士大夫)は10万人に1人ぐらいの「超小さな政府」である。中国のように広大な領土と膨大な人口を西洋近代のような立憲主義で統治したら、議会や司法機関にかかるコストは何百倍も必要になる。つまり『「日本史」の終わり』でも書いたように、中国の王朝は戦争を抑止する機能に特化した(ノージックとは違う意味の)最小国家なのだ。

ここで王朝を安定させているのは、露骨な暴力ではない。中国の隅々まで暴力支配したら、とんでもないコストがかかる。その権力の源泉は情報の独占だった。科挙の競争率は3000倍ともいわれ、そういう激烈な競争を勝ち抜いたエリートだけが文書を扱い、国家の情報を独占する。民衆の90%以上は、字も読めなかった。もともと漢字は、民衆に読めないようにつくられた国家の暗号だった。

だから中国の儒教的な徳治主義は建て前だけで、実際の王朝には厳格な官僚制度はなく、士大夫の所属する親族集団(宗族)から大量に公務員や出入り業者を使うコネ社会だった。宮廷は腐敗し、所有権が法的に保証されていないので、商取引も宗族の中で行なわれ、私的な司法機関まであった。

ところが中国の制度をコピーした李氏朝鮮は儒教の建て前をそのまま制度化し、中国より厳格な官僚制度をつくり、両班と呼ばれる身分差別を固定した。科挙は行なわれたが、士大夫の子弟は貴族の地位を世襲できるようになり、極端に集権的な身分社会が500年以上続いた。

中国と朝鮮に共通するのは、民衆を徹底的に無知な状態に置く愚民主義である。それでも中国の実質的なガバナンスは宗族に分権化されていたが、朝鮮は国家にすべてを集中したので、今の北朝鮮のような統制経済になり、多くの餓死者が出た。つまり愚民主義の伝統が国家を安定させる一方で経済を停滞させ、民度を低下させたのだ。

これに対して、形式的な権威を天皇に集中して実質的な情報を分散した日本では、平和が続くと情報は下へ下へと分権化され、民衆の知的水準は高まった。江戸時代の識字率は、百姓でも50%を超えたといわれる。天皇という「軽いみこし」をかついで民衆が情報をもつことによって、日本は中国や韓国よりはるかに高い民度を実現したのである。