日本文明と近代西洋―「鎖国」再考 (NHKブックス)
著者は今の静岡県知事。反原発の政策は感心しないが、本書は日本の近代化の重要なポイントを指摘している。ヨーロッパで資本主義が急速に発達した17~9世紀に、日本は鎖国の保護主義で世界から大きく遅れをとったといわれるが、これは本当だろうか。

自国の産業を関税などで保護する政策は、イギリスをはじめ世界中の国が行なった。日本が(一部の国を除いて)貿易の禁止という方法をとったことは特異だったが、それ自体は大きな損失になったわけではない。本書も指摘するように、当時のヨーロッパに日本に売り込む商品はなかった。
18世紀までヨーロッパは、アジアに対して貿易赤字だった。彼らがアジアから輸入した商品は、胡椒、香辛料、茶、砂糖、綿織物、タバコ、陶磁器など数多かったが、輸出したのは主として銀だった。つまり西洋諸国は新大陸で採掘した銀で、東洋から多くの商品を買ったのだ。逆に東洋人が買うものはほとんどなかった。
 
銀の流れをみても中国やインドは大幅な流入超で、イギリスは流出超だった。イギリスはインドから綿織物を輸入しており、自国産業をまもるためにその輸入を禁止したほどだ。だから日本がもし17世紀に開国していたとしても、西洋から輸入するより輸出するほうが多かっただろう。
 
むしろ鎖国の直接的な影響は、世界市場を席巻していたアジア製品への依存を断ち切ることだった。特に当時の国際商品だったインドの綿織物を輸入禁止して、国内で生産した。これは輸入品を国内産業で生産する輸入代替工業化であり、この点ではイギリスの綿工業も同じだった。彼らもインドからの輸入を遮断しているうちに、綿織物を自力で生産できるようになったのだ。
 
違うのは、そこから先だ。労働者が少なく石炭が豊富にあったイギリスでは、機械工業で綿織物を生産したのに対し、人口の多かった日本は労働集約的な手工業で綿織物をつくった。この差は17世紀にはそれほど大きくなかったが、商圏が大西洋に広がると、大量生産できるイギリスの綿織物が有利になった。それは当初は不公正な保護貿易だったが、イギリスにとっては「戦略的貿易政策」だった。
 
イギリスのように自国に比較優位のない商品の輸入を禁止する一方、比較優位のある商品は世界に輸出し、国内産業を育成する政策をとれば、日本製の工業製品の市場がアジア全体に広がった可能性もある。しかし日本は各藩でバラバラに産業が育ったので、それがグローバルに拡大することはなかった。
 
その原因は、日本の産業が土地節約的だったためだ。世界有数の人口密度の中で生産するには、土地を節約して労働時間を増やすことが必要であり、この習慣は古くからあった。18世紀以降は、米作から綿花などの商品作物に移行する農家が増えたが、土地の制約があって生産性は上がらなかった。与えられた土地で「一所懸命」に働くことを美徳とする風土では、他国に貿易を拡大しようという発想は出てこない。
 
だから鎖国が近代化を阻害したのではなく、逆に資本主義の圧力がなかったから鎖国が250年も続いたのだ。大きな土地や資本をもつ資本家がいれば、イギリスのように保護主義に反対する政治的圧力も出てきただろうが、日本にはそういう資本家もいなかったし、資本の蓄積もなかった。人々が狭い村に適応し、労働集約的な勤勉革命で生産性を上げたからだ。

結果的には、イギリスはグローバルに資源を調達して市場を創出し、大規模な機械工業を発展させたのに対して、日本は国内の狭い市場に適応して勤勉革命に片寄ったため、袋小路に入った。どちらもアジアからの輸入を減らして国内で代替するという目的は同じだったが、方向が逆だった。

開国は国内からの要望ではなく、外圧で実現した。それは対外的に国を開く意味より、日本に300もあったクニを互いに開いて国内市場を統一し、資本蓄積を進める意味のほうが大きかった。19世紀後半に日本がふたたび西洋と出会ったとき、その差は自力で埋められないほど開いていた。

ここから考えると、浜岡原発を(法的権限もなく)廃炉に追い込もうとする川勝知事の政策は、資源価格を上昇させて資本蓄積を阻害し、日本を江戸時代に戻す反文明的な政策である。