日本人が知らない安全保障学 (中公新書ラクレ)
あすの言論アリーナでは、著者の潮匡人さんに集団的自衛権の話を聞く。本書は全体としては常識的な安全保障の話だが、そのコアになる安全保障のジレンマについて誤解がある。

これは囚人のジレンマのことだが、誤解をまねきやすい名前だ。こういう問題は囚人にかぎらないし、ジレンマでもない。両方とも裏切る(攻撃する)のは、相手がどんな行動に出ても最適な支配戦略なので、迷う余地はないのだ。また秘密の暴露とも関係なく、むしろナッシュ均衡の成立には完全情報が必要だ。
特によくあるのが、本書のようにアクセルロッドのしっぺ返しが囚人のジレンマの最適戦略だという誤解である。これは30年前のコンピュータ・トーナメントの結果で、理論的にはとっくに葬られた話だ。しっぺ返しが強いのは1対1のゲームだけで、多人数になると無差別に裏切り続けるMaxMin戦略のほうが強い。

だから安全保障を1回かぎりの囚人のジレンマと考えると、答は相互攻撃しかないが、繰り返しゲームと考えると、協力(攻撃しない)がサブゲーム完全均衡となる場合がある。このためにはガットも指摘するように、ルール違反を処罰する国家権力が必要だが、国際間ではそういう権力がないので、つねに均衡(裏切り)に向かう圧力が生じる。

集団的自衛権は、そういう「国際権力」のようなものを各国の協力で維持する考え方だが、日米には今のところ片務的な関係しかない。これを「2014年末までに見直す」というのが昨年10月の2+2会合の約束である。これは短期的には、日本にとってコストにはなっても利益にはならないが、今の状況を放置すると、アメリカが有事の際に尖閣を守ってくれる保証はない。

本書もいうように、日米同盟がある以上、集団的自衛権を行使するのは当たり前で、議論の余地はない。ただし憲法解釈上は無理があるので、段階を追って憲法を現実に近づけていくしかない。「戦争は起こらないはずだと思っていれば起こらない」というのは、まさに安全神話である。朝日新聞にとっては命より法律のほうが大事なのだろうが、多くの国民はそうではない。あすはこういう現実的な防衛論議をしたい。