最近の自民党の劣化は、目をおおわしめるものがある。あきれたのは、野中広務氏と加藤紘一氏と古賀誠氏が赤旗に登場したことだ。資本主義を守るぐらいしか取り柄のない自民党が、共産党の応援してどうするのか。平和ボケ老人とでも呼ぶべきか。政治がこのように「野党化」するのは、今に始まったことではない。今週のメルマガから引用しておく。
伊藤博文は、一般にはお札に印刷してある人という以外はほとんど知られていない地味なキャラクターです。それはよくも悪くも彼が「与党の立場」を貫いた現実主義者だったがゆえに、中間派的な位置にならざるをえなかったということでしょう。

彼を真ん中に置いて、右が山県有朋など軍部寄りの長州閥、左が板垣退助などの自由民権運動という図式で、明治憲法は彼らの妥協の産物でした。それはプロイセンのような「強い君主」を建て前にしながら、実際には天皇の権限はほとんどなく、立憲主義(議会主義)をうたいながら、帝国議会は内閣をつくることもできないオール野党でした。

これは本家イギリスの立憲君主制とは似て非なるものです。その最大の目的は国王が勝手に戦争を起こすのを防ぐことなので、議会が承認しないと戦争はできない。アメリカ合衆国憲法では、大統領には宣戦布告の権限もない。それができるのは議会だけです。

このように立憲主義は戦争を防ぐメカニズムなのに、明治憲法では「統帥権の独立」によって内閣も議会も軍をコントロールできなかった。伊藤はこれを危惧して内閣の軍に対するコントロールを強めようとし、憲法を改正するための帝室制度調査局を設置し、文民統制のモデルとして朝鮮統監府を設置してみずからその統監になりますが、その途中で暗殺されてしまう…


あとはメルマガをどうぞ。ついでながら、きょうはNPO法人「万年野党」の結党大会だそうである。万年野党は、与党と野党が交換可能な立憲主義の反対物だ。文句だけつけて責任をとらないオール野党の無責任体制が、日本を戦争に引きずり込んだのだ。伊藤博文から130年たっても、日本人が立憲主義とは何かさえ知らないのは、救いがたいというしかない。