この問題は多くの人に関心があるらしく、テクニカルな上級編にも意外に多くのアクセスがあったので、ついでにいま書いている『マルクスで読む資本主義の500年史』(仮題)の原稿から、それに関係のある話を抜粋しておこう。
「産業革命」という言葉に前提されているのは、18世紀のイギリスに起こったのが産業の革命だったということだが、それは製造業中心の供給ベースの歴史観である。産業インフラや市場経済の発展だけをみれば、当時も中国が世界の最先進国だった。それなのにヨーロッパの西端の島国イギリスが驚異的な発展を遂げたのは、高賃金の労働者が消費したからだ、というのがアレンの見方だ。

では、なぜそんな高賃金が払えるようになったのか。彼のあげる第一の原因は、人口の減少である。全欧に猛威をふるった黒死病の影響は近世まで残り、イギリスの人口が増加に転じたのは16世紀後半だった。このため人手不足になったことが、賃金の上がった第一の原因だ。人口の余っていた中国や日本では、労働集約的な「勤勉革命」が起こった。

しかし労働人口が減っても、労働需要が増えないと賃金は上がらない。その原因として彼があげるのは、毛織物である。今ではマイナーな産業だが、近世までは衣類は最大の工業製品であり、毛織物が最大の市場だった。そして中世のイギリスは毛皮を輸出し、毛織物を輸入していた。

しかし黒死病で労働者が激減したので、労働集約的な牧畜業では採算がとれなくなり、毛足の長い毛皮から毛糸をつくる産業が出てきた。これも競争的な産業だったが、イギリスは高い関税をかけて自国の毛織物産業を守った。この結果、国内の毛糸の価格が上がり、それをつくる労働者の賃金が上がった、というのがアレンの説明である。

これによって、高い賃金で毛織物などの贅沢品を消費する労働者が増え、食糧以外の消費財産業が出てきたので、工業化が始まった。このときも毛織物と競合するインドの綿織物を輸入禁止にする保護貿易が重要な役割を果たした。こういうあからさまな「不公正貿易」ができたのも、当時の政府が貴族や地主と一体で、彼らの既得権を守ったからだ。

つまり新興のブルジョアジーが「市民革命」や「産業革命」で旧体制を打倒してイノベーションを起こした、という教科書の物語は逆で、中世以来の貴族の既得権を守り抜いたイギリスが、戦争や革命でで貴族が壊滅した大陸を出し抜いた、というのが実態に近い。島国のイギリスが相対的に平和だったメリットは大きく、これは日本と似ている。

そして人手不足を解決する上でいちばん大事なのは、資源が豊富にあったことだ。イギリスは小国だったので土地とエネルギーが最大の制約だったが、土地は新大陸に植民地を開拓して解決し、木材の枯渇は石炭で解決した。こうした資源を潤沢に使って労働を節約するために、産業革命と呼ばれる資本集約的な技術革新が行なわれたのだ。

これを今の日本に置き換えると、製造業は今でも効率的で、資本装備率(資本/労働)も世界最高水準だが、サービス業は勤勉革命のエートスを受け継いで資本装備率が低い。実はもっとも人手が足りないのはこういう零細な小売業や外食業で、わが家の近所でも商店街で閉店が目立つ。サービス業の規制を撤廃して効率化し、資本集約的な大型店やチェーン店に変えることが長期的な人手不足の解決法だろう。