時間革命
きのうの記事はちょっとわかりにくかったので、補足しておこう。人々に共通の時間という概念は、本書によれば15世紀のヨーロッパで生まれたものだ。そのころ機械式の時計が普及し、都市の公共空間に時計台ができた。

中世までの自然な時間は季節によっても地域によってもバラバラだったが、近代の時間は正確に同じで、人々は時計で同期をとって共同作業する。工場では同じ時間に出勤して同時に仕事しないと効率が落ちるので、資本家は労働者に時間厳守を要求した。工場では個人にノルマが与えられ、人々は限られた時間の中で休む暇なく同時に働いた。
金利を取るようになったのも、16世紀以降である。それまで時間は神の所有するものであり、それを利用して商人がもうけることは許されなかった。このためカトリック教会は金利を禁止し、高利貸しを取り締まったが、プロテスタントは時間から金利を得た。

彼らにとっては、この世の時間は神に与えられた試練であり、労働によって自己の救済を確認することが目的なので、遊びは職場から排除された。フランクリンは「時は金なり」という言葉で人々に時間を守るよう説き、労働倫理が強調された。時間を神のものから資本家のものにしたのが資本主義だった。

しかし脱工業化社会では工場が作業の場ではないので、人々は非同期的に行動する。かつて大型コンピュータで多くの人が同時に行なっていた情報処理は、PCでバラバラに行なわれるようになった。電話は同時に2人を拘束するが、Eメールは送信と受信を同期する必要がない。テレビも録画機に収録して見るようになった。

これによって時間は個人化し、人々は同期から解放されて自由になった。情報産業では、勤務時間という概念も(したがって残業も)ない。そんな時代に「残業代ゼロ」を攻撃する朝日新聞は、情報社会に工業社会の遺物を持ち込もうとしているのか、それとも工業社会しか知らない老人に迎合しているのだろう。