Capital in the Twenty-First Century
ピケティの本は世界的な論争を呼び起こしている。タレブの『ブラック・スワン』以来だろう。特にクルーグマンは、NYRBに長文の書評を寄せて絶賛している。ピケティの最大の強みは、15年かけて最近300年の各国の税務資料を収集し、富の分配とその内訳について包括的な統計をつくったことだ。

アメリカの分配の不公平が拡大していることは明らかだが、それは歴史上初めての出来事ではない。20世紀初めのヨーロッパでも同じぐらいの不公平があったが、今のアメリカの状況はそれとは違い、上位1%の「スーパースター」が20%の所得を取るのが特徴だ。メディアンの労働者の所得は40年前とほとんど同じだが、上位1%の所得は165%増え、上位0.1%は362%増えた。

これは限界生産力説では説明できない。ではどう説明するかはむずかしい問題で、ピケティもそれ以上に説得的な理論をもっているわけではないが、要は資本をもつ者が分配を決めるということだ。資本家は自分の取り分を自分で決めるのだから、それを最大化するのは当然である。

他方、労働者は機械やソフトウェアに代替されるので、賃金は機械との競争で決まる。これをSkill-biased technological changeによる格差と説明することは欺瞞的である。3000万ドルの報酬を取るCEOは、3万ドルの労働者の1000倍の「スキル」なんかもっていない。彼らは株価を最大にする報酬を得ているのだ。

問題は契約以上の残余(利潤または損失)を誰がとるかという残余コントロール権であり、それを決めるのは資本の所有権だ。これを最初に明らかにしたのはマルクスである。
所有とは、資本家の側には他者の不払労働ないしはその生産物を取得する権利として現われ、労働者の側には自分自身の生産物を所得することの不可能性として現れる。所有と労働の分離は、見かけの上では両者の同一性から出発したようにみえる法則の必然的な帰結となるのである。(『資本論』第22章1節、強調は原文)
マルクスはこのような不平等は、私的所有を廃止して「生産手段の共有にもとづいた個人的所有」に移行すれば「協同組合的な富があふれ出て」解決すると考えたが、フランス社会党員であるピケティはそう考えない。資本主義より効率の高い経済システムはないので、それを使いながら分配を是正してゆくしかないと彼は考える。

もう一つは、富は相続されるということだ。これによる不平等を避けるためには相続税などの資産課税の強化が必要だが、これは資本逃避をまねくおそれが強いので、国際協調が必要だ。これは政治的には困難だが、その代わりに所得税を減税し、法人税を廃止すれば受け入れられるかもしれない。

5月7日から、アゴラ読書塾で本書を読みます。席は残りわずか。