日本教徒―その開祖と現代知識人 (角川oneテーマ21)
日本社会が固有の共同体に依存した「特殊主義」だというのは、丸山眞男以来よく指摘されるが、そういう日本人が西洋の普遍主義的な文明を受容できたのはなぜだろうか。そこには何か普遍的なものが共有されていたのではないか――それが本書のテーマである。

主人公は、不干斎ハビヤンという16世紀末のキリシタンである。彼は日本人としてイエズス会の宣教師になった最初の世代で、その立場から『妙貞問答』という仏教や神道の批判を書いたが、のちに棄教して『破提宇子』というキリスト教批判を書いた。
一般的な理解では、彼は若くして天草コレジヨ(神学校)の日本語教師になり、宣教師のために『平家物語』などの翻案を書いたが、イエズス会の幹部との意見の違いから棄教し、晩年にキリスト教を攻撃する『破提宇子』を書いた、とされている。しかし山本七平(ベンダサン)は、彼の思想の中に一貫した「日本教」の原型を見出す。

『妙貞問答』でハビヤンは『古事記』などの神話は後代の創作だとし、仏教や儒教も通俗的な道徳だと批判してキリスト教的な合理主義を説くのだが、そこで彼が依拠しているのは唯一神ではなく、「ナツウラの教へ」すなわち自然法である。ここで社会秩序の基礎になるのは、一族の秩序としての自然と、その中の「報恩」にもとづく人間関係だ。そこで善悪の基準になるのは忠誠であり、最初から彼の信仰はキリスト教ではなく日本教だった。

ハビヤンの自然法思想は、ある面では同時代のイギリスで形成されたコモンローと似ているが、結果的には法の支配として制度化されなかった。彼は『破提宇子』では一転して、「ナツウラの教へ」を超える神を想定するキリスト教は日本には根づかないと批判する。彼が神の代わりに忠誠の対象としたのが、天皇だった。

彼の思想は、明治以降の日本が天皇を中心に近代化した精神構造を、その300年前に先取りしている。西洋では神の秩序の世俗化として法の支配ができたのに対して、日本では特殊主義的な忠誠の秩序として自然法ができ、それを統合する存在として天皇が想定された。両者は似ているようだが、前者では絶対的な規範として神の「義」があるのに対して、後者では一族を超える普遍的秩序の象徴として天皇は要請されるにすぎない。

ただしハビヤンがキリスト教を本質的に理解した上で「転んだ」かどうかは疑問だ。彼のキリスト教理解は最初から、遠藤周作の『沈黙』のようなお涙ちょうだいであり、三位一体も知らなかった。こういう通俗的な理解が、天皇を教祖とする「日本教」にたどりついたのも必然といえよう。

キリスト教の神のような絶対者を知らなかった日本の自然法はローカルな秩序にとどまり、江戸時代には全国300の藩にそれぞれ法ができた。そういう割拠的な状態を打破して統一国家を建設させる、戦争のプレッシャーがなかったからだ。日英の運命をわけた大分岐の最大の原因が17世紀以降の法の支配の確立だったとすれば、両者の距離はそう遠くないのかもしれない。