ジェントルマン資本主義の帝国〈1〉
本の原稿をかねてメモ。イギリスについての最近の数量経済史による研究は、マルクス以来の「産業資本主義の祖国」というイメージを変えつつある。

本書の推計によれば、1860~79年のイギリスの非農業部門のGDPのうち製造業は36.7%で、金融が32.5%、商業が23.5%だった。この比率は19世紀を通じてほとんど変わらず、20世紀には製造業の比率は10%台まで低下した。「産業資本主義」を製造業の比重がサービス業より高い資本主義と定義すれば、イギリスは一度も産業資本主義だったことはなく、その主役は大地主や銀行家などのジェントルマンだった。
教科書では「インドから輸入した綿花をイギリスで綿織物に加工して輸出した」と教えるが、これも逆である。綿織物はインドからの輸入品で、イギリスはその中継貿易で利益を上げた。18世紀なかばには輸出額の40%がインド産の綿織物であり、イギリス経済を支えたのは、インドから輸入した綿織物を西アフリカで奴隷と交換して北米に輸出する奴隷貿易だった。

イギリスで一貫して主要な産業だったのは、金融と商業である。特に国際的な貿易や投資は早くから発達し、19世紀初めには所得収支の黒字が貿易赤字を上回り、1851~75年には貿易収支が5100万ポンドの赤字だったのに対して、海運収支が3500万ポンド、海外投資収入が2600万ポンドの黒字だった。イギリスは日本より200年前に、貿易立国を卒業したのだ。

このように投資収入(所得収支)がメインになると、国益にとって重要なのはポンドの価値を維持することだ。しかし第1次大戦後、基軸通貨の地位をドルに奪われ、1930年代の大恐慌でポンドは最終的に基軸通貨の地位を失った。ポンドの下落とともに、イギリス経済は没落した。どこかの国のように、所得収支の黒字が貿易赤字を上回っているのに中央銀行が「輪転機をぐるぐる回して」通貨価値を毀損するのは、愚かな経済政策というしかない。